Monte Rosa - Haute Route Day 4-1
2012年8月17日 旅行
7月18日(水)
今日はいよいよモンテローザのピークに登る日。
いつもより早く起床。
天気はよいけれど風が強い。
氷河を登って傾斜が緩やかになったところでバックパックをデポして、ウォーキング・スティックとカメラだけを持ってVincent Pyramid (ビンセント・ピラミド 4215m)を目指す。
ここの頂上はちょっと広め。
絶景。
ここは昨日予定通りリスカム・パッソを越えることができていれば昨日登るはずだったピーク。
何枚か写真を撮った後で、ピークを後にした。
次に目指したのはピークに大きなキリスト像があるBalmenhorn(バルメンホルン 4167m)。
ここは頂上直下の岩場の手前でバックパックをデポして、鉄の足場のある岩場を登る。
頂上にはキリスト像と避難小屋があった。
避難小屋の中をちょっと見学。
キリスト像をバックに記念撮影して下る。
写真は最初がビンセント・ピラミドへ向かう朝の氷河で。
2枚目はビンセント・ピラミド頂上で。風が強くて立っていられない。
3枚目はバルメンホルンのキリスト像。左奥の岩山がモンテローザ最高峰のデュフール・ピーク。
今日はいよいよモンテローザのピークに登る日。
いつもより早く起床。
天気はよいけれど風が強い。
氷河を登って傾斜が緩やかになったところでバックパックをデポして、ウォーキング・スティックとカメラだけを持ってVincent Pyramid (ビンセント・ピラミド 4215m)を目指す。
ここの頂上はちょっと広め。
絶景。
ここは昨日予定通りリスカム・パッソを越えることができていれば昨日登るはずだったピーク。
何枚か写真を撮った後で、ピークを後にした。
次に目指したのはピークに大きなキリスト像があるBalmenhorn(バルメンホルン 4167m)。
ここは頂上直下の岩場の手前でバックパックをデポして、鉄の足場のある岩場を登る。
頂上にはキリスト像と避難小屋があった。
避難小屋の中をちょっと見学。
キリスト像をバックに記念撮影して下る。
写真は最初がビンセント・ピラミドへ向かう朝の氷河で。
2枚目はビンセント・ピラミド頂上で。風が強くて立っていられない。
3枚目はバルメンホルンのキリスト像。左奥の岩山がモンテローザ最高峰のデュフール・ピーク。
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Monte Rosa - Haute Route Day 3-3
2012年8月15日 旅行
7月17日(火)の続き
やっとの思いでニフェッティ・ハットにたどり着いた僕らだが、今日はひとつ決断を迫られたことがあった。
それは最終日6日目のこと。
天気予報によると天気は下り坂で、6日目の金曜日は雷の予報。さらに予備日の7日目、土曜日は天気が崩れるという予報。
6日目はモンテローザの最高峰Dufour Peakに登る予定だったのだが…
結局僕らはマークのアドバイスに従って6日目以降の行動はあきらめることにした。
やはり山での雷は怖い。
僕らの体力を考えるとかなり条件のよいときでないと登頂のチャンスは低いと思われるので安全の方を採った。
でも、もしイタリアのグラン・パラディソ方面の天気がよければ予備日も活用してそちらに回りたいという希望をマークに伝えた。
ロレンツォとホセ・マリアは天気予報が変わらないかどうか確認するためもう1日結論を保留にしたようだ。
写真1枚目と2枚目は7月18日のニフェッティ・ハットの朝。
2枚目の真ん中やや右下寄りに見える建物はMantova Hut(マントヴァ・ハット 3498m)だと思われる。
3枚目はやはり18日の朝、歩き始めてすぐの地点から見えたモンブラン。
エギーユ・ドゥ・ミディ、モンブラン・ドゥ・タキュール、モン・モディの3山縦走コースが良く見える。
やっとの思いでニフェッティ・ハットにたどり着いた僕らだが、今日はひとつ決断を迫られたことがあった。
それは最終日6日目のこと。
天気予報によると天気は下り坂で、6日目の金曜日は雷の予報。さらに予備日の7日目、土曜日は天気が崩れるという予報。
6日目はモンテローザの最高峰Dufour Peakに登る予定だったのだが…
結局僕らはマークのアドバイスに従って6日目以降の行動はあきらめることにした。
やはり山での雷は怖い。
僕らの体力を考えるとかなり条件のよいときでないと登頂のチャンスは低いと思われるので安全の方を採った。
でも、もしイタリアのグラン・パラディソ方面の天気がよければ予備日も活用してそちらに回りたいという希望をマークに伝えた。
ロレンツォとホセ・マリアは天気予報が変わらないかどうか確認するためもう1日結論を保留にしたようだ。
写真1枚目と2枚目は7月18日のニフェッティ・ハットの朝。
2枚目の真ん中やや右下寄りに見える建物はMantova Hut(マントヴァ・ハット 3498m)だと思われる。
3枚目はやはり18日の朝、歩き始めてすぐの地点から見えたモンブラン。
エギーユ・ドゥ・ミディ、モンブラン・ドゥ・タキュール、モン・モディの3山縦走コースが良く見える。
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Monte Rosa - Haute Route Day 3-2
2012年8月13日 旅行
7月17日(火)の続き
リスカム・パッソを超えることは断念することになった。
マークは昨晩泊まったセラ・ハットまで引き返してハイキングコースをイタリア側に下り、さらにケーブルカーで下りてそこから違うルートでケーブルカーをいくつか乗り継いで上がり、さらに少し歩いて今日泊まる予定の山小屋に行くという。
今朝歩いてきた氷河の大変さを考えると気が遠くなりそう。
再び延々と氷河上を歩く。今度は下りなのだけれど傾斜はそれほどない。やはり楽ではないし、なにせ今朝来た道を引き返すという敗北感から意気が上がらない。
お昼ごろやっとセラ・ハットにたどり着いて短時間のピクニック。
ここからはハイキング・コースなのでクランポンははずすが、岩場なのでシット・ハーネスは着けたままでロープをつけて下る。
固定ロープのある急な岩場が延々と続く。
モンブランのグーテ小屋直下の岩場を思い出す。
ここがハイキング・コースとは…。すごいハイキング・コースだ。
急な岩場を2時間くらい下ったろうか? やっと傾斜が緩み、ロープがはずされた。
さらにしばらく歩いてやっとリフトの駅、Colle Bettaforcaに到着。
アクリルの透明カバー付きのリフト。すごい長さのリフト。
冬はスキー場になるのだろう。確かにこんな長いリフトじゃカバーでもないと体が凍り付いちゃう。
日本にはこんな長さのリフトはないんじゃないかと思う。
もう一つ乗り継いで下りてきたところはStafal(スタファル 1818m)。
ここで小休止してからケーブルカーでGabiet、Passo Salatiと乗り継いで3275mのIndren(インドゥレン)まで登った。
ここからフットパスと雪交じりの道を約1時間歩いてGnifetti hut(ニフェッティ・ハット 3554m)に到着した。
到着は6時頃。
疲れた。
初日も長かったけれど、またこんな長い日があるとは…
写真は最初がStafalのゴンドラリフト駅。
2番目はPasso SalatiでIndrenへのケーブルカー駅の前で。
ケーブルカーの動力機械の造形がイタリアンデザインのためかヤケにおしゃれ。
3枚目はIndrenへのケーブルカーの中で。
リスカム・パッソを超えることは断念することになった。
マークは昨晩泊まったセラ・ハットまで引き返してハイキングコースをイタリア側に下り、さらにケーブルカーで下りてそこから違うルートでケーブルカーをいくつか乗り継いで上がり、さらに少し歩いて今日泊まる予定の山小屋に行くという。
今朝歩いてきた氷河の大変さを考えると気が遠くなりそう。
再び延々と氷河上を歩く。今度は下りなのだけれど傾斜はそれほどない。やはり楽ではないし、なにせ今朝来た道を引き返すという敗北感から意気が上がらない。
お昼ごろやっとセラ・ハットにたどり着いて短時間のピクニック。
ここからはハイキング・コースなのでクランポンははずすが、岩場なのでシット・ハーネスは着けたままでロープをつけて下る。
固定ロープのある急な岩場が延々と続く。
モンブランのグーテ小屋直下の岩場を思い出す。
ここがハイキング・コースとは…。すごいハイキング・コースだ。
急な岩場を2時間くらい下ったろうか? やっと傾斜が緩み、ロープがはずされた。
さらにしばらく歩いてやっとリフトの駅、Colle Bettaforcaに到着。
アクリルの透明カバー付きのリフト。すごい長さのリフト。
冬はスキー場になるのだろう。確かにこんな長いリフトじゃカバーでもないと体が凍り付いちゃう。
日本にはこんな長さのリフトはないんじゃないかと思う。
もう一つ乗り継いで下りてきたところはStafal(スタファル 1818m)。
ここで小休止してからケーブルカーでGabiet、Passo Salatiと乗り継いで3275mのIndren(インドゥレン)まで登った。
ここからフットパスと雪交じりの道を約1時間歩いてGnifetti hut(ニフェッティ・ハット 3554m)に到着した。
到着は6時頃。
疲れた。
初日も長かったけれど、またこんな長い日があるとは…
写真は最初がStafalのゴンドラリフト駅。
2番目はPasso SalatiでIndrenへのケーブルカー駅の前で。
ケーブルカーの動力機械の造形がイタリアンデザインのためかヤケにおしゃれ。
3枚目はIndrenへのケーブルカーの中で。
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Monte Rosa - Haute Route Day 3-1
2012年8月11日 旅行
7月17日(火)
今日はLyskamm Paso(リスカム・パッソ、リスカムのコル 4035m)を越えてよモンテローザの山域に入る予定。
リスカム・パッソの壁に達するまで、延々と続くだらだら登りの氷河歩きは長かった。
4時間あまりかかっただろうか?
いよいよその壁が大きく立ちはだかるように見えるところにたどり着く。
先行するグループの多くはその壁ではなく、右側のスロープをジグザグに登っていくが、マークはあのルートは上部に氷の危険地帯があるので我々は壁を直登すると言う。
壁の斜度は30度から40度くらい。
壁の下部で小休止し、ウォーキング・スティックをアイスアックスに持ち替える。
そして、ヘルメットをかぶる。
ここでトラブル。
カミさんがヘルメットの装着に手間取る。
ヘルメットのストラップがカミさんには長すぎてきちんと装着できないのだ。
僕が手伝って調整しようとしているうちにうっかり手を滑らせてヘルメットを落としてしまった。
あっと思って飛びついたのだが、僕の手をすり抜けてヘルメットは斜面を転がり落ちてしまった。
20mほど下まで転がってしまったろうか…
あ~、情けない。
マークが下まで取りに行ってくれたのだが、温厚な彼もさすがにむっとして"Never do it again."
本当に申し訳なかった。
落ち込むが落ち込んでいる暇はない。ここから今日の一番の難所を越えなくてはならない。
マークは2番手のカミさんとの間を20m程の長いロープで繋ぐ。
カミさんと僕の間、僕の後ろのロレンツォ、ホセ・マリアの間のロープはそれぞれ5mくらい。
マークが最初に壁を登ってロープが張ったところで、カミさんが着いていく。
斜度が急なのでアイスアックスはピック部を下から持って雪にピックを刺して登るのだが、雪がやわらかすぎてピックだけでは十分に引っかからないので、まずシャフトを雪に刺してさらにアイスアックスを前方に倒してピックを雪に刺して確保する。
ここでは2点確保。足、アイスアックスを移動させる場合には必ず他の2点で確保していなくてはならない。
カミさんと僕が進みはじめるが、ロレンツォが着いてこない。
次の瞬間、僕はロープで下から引っ張られる。
上からのロープが張って斜面上で何とか止まるが、僕の足の下には何もない。
宙吊りになっている。
右手のアイスアックスは効いているが、それだけでは体を確保できないのでシットハーネスにかなりの荷重がかかって上から引っ張られて何とか止まっている状態。
しかも、左足のクランポンの歯が右足のゲーターか何かに引っかかって思うように動かないのでもがくが、どうにも自由が利かない。
ロレンツォのところでクレバスの上にかぶさっていた雪が崩れ、クレバスの口が大きく開いてしまったようだ。
幸い、ロレンツォはクレバスの下側の淵に着地しているみたい。
もがいているうちに左のクランポンの歯がなんとか右足からはずれ足は自由になった。
ここでカミさんにゆっくり後退してもらって、僕もやっとクレバスの下側の淵に足を下ろすことができた。
下を見ると深いクレバスが見える。ぞっとする光景。
続いてカミさんもゆっくり降りてクレバスの下側の淵に着地。
マークも下りてくることになった。
マークが下りてくるのに合わせてタイトロープで僕らも下がる。
マークは右にトラバースして、何とかクレバスを避けて下りてきた。
どうも上にも凍った危険地帯があるようで、ここを登ることは断念せざるを得ないという。
先行したパーティーも引き上げてくるようだ。
この先どうなってしまうのか…
写真は最初がカストール頂上から見たリスカムとリスカム・パッソ。
赤い線に沿ってリスカム・パッソを越えようとしたのだが…
2枚目は16日に撮ったセラ・ハットからのイタリア側の山々。
この時点ではここを下ることになるとは夢にも思ってなかった。
3枚目はセラ・ハットから下ったところで遭遇したアイベックス。
今日はLyskamm Paso(リスカム・パッソ、リスカムのコル 4035m)を越えてよモンテローザの山域に入る予定。
リスカム・パッソの壁に達するまで、延々と続くだらだら登りの氷河歩きは長かった。
4時間あまりかかっただろうか?
いよいよその壁が大きく立ちはだかるように見えるところにたどり着く。
先行するグループの多くはその壁ではなく、右側のスロープをジグザグに登っていくが、マークはあのルートは上部に氷の危険地帯があるので我々は壁を直登すると言う。
壁の斜度は30度から40度くらい。
壁の下部で小休止し、ウォーキング・スティックをアイスアックスに持ち替える。
そして、ヘルメットをかぶる。
ここでトラブル。
カミさんがヘルメットの装着に手間取る。
ヘルメットのストラップがカミさんには長すぎてきちんと装着できないのだ。
僕が手伝って調整しようとしているうちにうっかり手を滑らせてヘルメットを落としてしまった。
あっと思って飛びついたのだが、僕の手をすり抜けてヘルメットは斜面を転がり落ちてしまった。
20mほど下まで転がってしまったろうか…
あ~、情けない。
マークが下まで取りに行ってくれたのだが、温厚な彼もさすがにむっとして"Never do it again."
本当に申し訳なかった。
落ち込むが落ち込んでいる暇はない。ここから今日の一番の難所を越えなくてはならない。
マークは2番手のカミさんとの間を20m程の長いロープで繋ぐ。
カミさんと僕の間、僕の後ろのロレンツォ、ホセ・マリアの間のロープはそれぞれ5mくらい。
マークが最初に壁を登ってロープが張ったところで、カミさんが着いていく。
斜度が急なのでアイスアックスはピック部を下から持って雪にピックを刺して登るのだが、雪がやわらかすぎてピックだけでは十分に引っかからないので、まずシャフトを雪に刺してさらにアイスアックスを前方に倒してピックを雪に刺して確保する。
ここでは2点確保。足、アイスアックスを移動させる場合には必ず他の2点で確保していなくてはならない。
カミさんと僕が進みはじめるが、ロレンツォが着いてこない。
次の瞬間、僕はロープで下から引っ張られる。
上からのロープが張って斜面上で何とか止まるが、僕の足の下には何もない。
宙吊りになっている。
右手のアイスアックスは効いているが、それだけでは体を確保できないのでシットハーネスにかなりの荷重がかかって上から引っ張られて何とか止まっている状態。
しかも、左足のクランポンの歯が右足のゲーターか何かに引っかかって思うように動かないのでもがくが、どうにも自由が利かない。
ロレンツォのところでクレバスの上にかぶさっていた雪が崩れ、クレバスの口が大きく開いてしまったようだ。
幸い、ロレンツォはクレバスの下側の淵に着地しているみたい。
もがいているうちに左のクランポンの歯がなんとか右足からはずれ足は自由になった。
ここでカミさんにゆっくり後退してもらって、僕もやっとクレバスの下側の淵に足を下ろすことができた。
下を見ると深いクレバスが見える。ぞっとする光景。
続いてカミさんもゆっくり降りてクレバスの下側の淵に着地。
マークも下りてくることになった。
マークが下りてくるのに合わせてタイトロープで僕らも下がる。
マークは右にトラバースして、何とかクレバスを避けて下りてきた。
どうも上にも凍った危険地帯があるようで、ここを登ることは断念せざるを得ないという。
先行したパーティーも引き上げてくるようだ。
この先どうなってしまうのか…
写真は最初がカストール頂上から見たリスカムとリスカム・パッソ。
赤い線に沿ってリスカム・パッソを越えようとしたのだが…
2枚目は16日に撮ったセラ・ハットからのイタリア側の山々。
この時点ではここを下ることになるとは夢にも思ってなかった。
3枚目はセラ・ハットから下ったところで遭遇したアイベックス。
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Monte Rosa - Haute Route Day 2
2012年8月11日 旅行
7月16日(月)
今日はCastor(カストール 4161m)をめざす。
天気はよいが、強風。
本来ならば西側の尾根に登ってそのナイフ・リッジを詰めて頂上に達するのだけれど、強風のため南側の壁をジグザグに登ることになった。
斜面はかなり急で、頂上に近いところでは30度以上の傾斜だったと思う。
先頭のマークの後ろにカミさん、僕、ホセ・マリア、ロレンツォの順番でロープに繋がる。
その急な斜面でカミさんが1回クランポンの歯を滑らせて滑落しそうになる。
後でマークがちょっとびっくりしたと言っていた。
モンブランの時みたいに完全に雪の上で宙吊りになったわけではないのだけれど…
どうもカミさんにはこのときの記憶がないらしい。
やがて頂上へ。頂上は狭くて我々5人が腰を下ろすのがやっと位の広さ。
強風のため立っていられない。
やっとの思いで写真を数枚撮ってから西の尾根を下りる。
ここもすごいナイフ・リッジ。
モンブランでも雪のナイフ・リッジを経験したが、こっちのほうが幅が狭くて高度感がある。
右も左も落ちたら数100mは止まりそうもない。
クランポンの歯を引っ掛けないように集中して下りる。
下りはロレンツォ、ホセ・マリア、僕、カミさん、マークの順番。
尾根沿いにいったん下ってから再び上ってFelik(フェリック 4110m)に達する。
フェリックはカストールの前衛峰。
振り返るとカストールへのリッジが美しい。
よくこんなところを下りてきたものだと思う。
安全なところまで下りてから小ピクニック。
このあと、Sella hut (セラ・ハット 3528m、イタリア語ではStella hutと書くみたいだ)へ下りる。
セラ・ハットでちょっと遅めの昼食のパスタをいただく。
カミさんと僕で一皿をとって食べた。カミさんは小食なので多くは僕が食べた。
今日は昨日に比べれば平和な1日だった。
明日も予定ではそんなにタフな行程ではないはずだったのだけれど…
写真はカストールの頂上で。風が強い。
3枚目はカストールの下りのナイフリッジを写したものだが、実際の高度感はなかなか得られない。
今日はCastor(カストール 4161m)をめざす。
天気はよいが、強風。
本来ならば西側の尾根に登ってそのナイフ・リッジを詰めて頂上に達するのだけれど、強風のため南側の壁をジグザグに登ることになった。
斜面はかなり急で、頂上に近いところでは30度以上の傾斜だったと思う。
先頭のマークの後ろにカミさん、僕、ホセ・マリア、ロレンツォの順番でロープに繋がる。
その急な斜面でカミさんが1回クランポンの歯を滑らせて滑落しそうになる。
後でマークがちょっとびっくりしたと言っていた。
モンブランの時みたいに完全に雪の上で宙吊りになったわけではないのだけれど…
どうもカミさんにはこのときの記憶がないらしい。
やがて頂上へ。頂上は狭くて我々5人が腰を下ろすのがやっと位の広さ。
強風のため立っていられない。
やっとの思いで写真を数枚撮ってから西の尾根を下りる。
ここもすごいナイフ・リッジ。
モンブランでも雪のナイフ・リッジを経験したが、こっちのほうが幅が狭くて高度感がある。
右も左も落ちたら数100mは止まりそうもない。
クランポンの歯を引っ掛けないように集中して下りる。
下りはロレンツォ、ホセ・マリア、僕、カミさん、マークの順番。
尾根沿いにいったん下ってから再び上ってFelik(フェリック 4110m)に達する。
フェリックはカストールの前衛峰。
振り返るとカストールへのリッジが美しい。
よくこんなところを下りてきたものだと思う。
安全なところまで下りてから小ピクニック。
このあと、Sella hut (セラ・ハット 3528m、イタリア語ではStella hutと書くみたいだ)へ下りる。
セラ・ハットでちょっと遅めの昼食のパスタをいただく。
カミさんと僕で一皿をとって食べた。カミさんは小食なので多くは僕が食べた。
今日は昨日に比べれば平和な1日だった。
明日も予定ではそんなにタフな行程ではないはずだったのだけれど…
写真はカストールの頂上で。風が強い。
3枚目はカストールの下りのナイフリッジを写したものだが、実際の高度感はなかなか得られない。
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Monte Rosa - Haute Route Day 1
2012年8月8日 旅行
7月15日(日)
今日からいよいよモンテローザ・オートルートの山岳ツアーが始まる。
山岳ガイドのマークが早朝4:50にホテルに迎えに来てくれる。
外はまだ真っ暗。
一年ぶりの再会を喜び合う。
クルマにはマークの他にもう一人。スペイン人のLorenzo(ロレンツォ)。
彼は今回のツアーの参加者の一人。
もう一人の参加者をモンタンベール行きの登山鉄道駅で拾うということで駅へ。
やはりスペイン人でJose-Maria (ホセ・マリア)という名前だとか。
男女二人の名前を組み合わせたあまり聞きなれない名前だけれど最後が"a"で終わるので女性だと思っていたら、男性でした。
後で本人に聞いたらこのように男性、女性という順番で名前が組み合わさる場合には男性の名前になるということだ。
ロレンツォとは特に知り合いではないらしい。
僕とカミさん、そして二人のスペイン人の計4人が今回のツアーの参加者。
最初の5日間はこの4人にガイドのマークが付く。
そして最後の1日はモンテローザの最高峰デュフール・ピークに登るためもう一人山岳ガイドが加わって僕らはマークと、スペインの二人はもう一人のガイドとロープトパーティを組む予定。
クルマはシャモニーの谷を鉄道沿いに進み、Martigny(マルティニー)経由でツェルマット方面に向かう。
マルティニーに向かう途中で国境を越えてスイスに入るがここはフリーパス。
マルティニーまでくるともうすっかり明るくなっている。
ここから高速でFisp(フィスプ)へ、さらにマッター谷に向かい、テッシェに到着。
クルマはここまでしか入れないので、一般の人たちは皆クルマをここにおいて、鉄道でツェルマットに向かう。
ここで僕らはマークからヘルメットを借りてザックに装着。
2年前のモンブランのときはマークの会社からはさらにシット・ハーネスと安全環付きカラビナ2個を借りたのだが、今回は自前。それらは去年のヒマラヤ、アイランド・ピークに行くために購入済み。
さらにアイスアックスとクランポンも今回はスポーツ用品店での借り物ではなく自前。
ここでロレンツォとホセ・マリアのザックがかなりコンパクトなものであることに気づく。
僕らよりも体が大きいからザックが小さく見えるということがあるかもしれないけれどそれにしてもコンパクトに良くまとまっていて慣れている感じ。
それに引き換え僕らの荷物は…
体力的に劣る僕らがこの荷物ではちょっと問題。
ツェルマットまで、15分くらい乗っただろうか?
駅から少し歩いてケーブルカーの駅へ。
今日はケーブルカーでKlein Matterhorn(クライン・マッターホルン3883m)まで行き、そこからBreithorn(ブライトホルン4164m)に登り、イタリア側に少し下りて山小屋泊まりの予定。
ケーブルカー駅にはたくさんの登山者が待っている。
ここで問題発生。クライン・マッターホルンまでのケーブルカーが技術的問題で動いてないというのだ。
次の情報はxx分後ということで少し待つが、時間になってもさらに次の情報更新時間が示されるだけ。
ここでマークから説明があって、次の情報更新は10時過ぎになるが、そこまで待って動かないようであれば、約3000mちょっとの途中駅までケーブルカーで行ってそこからスキースロープを約800m歩いて登ることにするという。
歩いて登ると4時間くらいかかるらしい。
モンブランのときもベルビューからの登山電車がなかなか動かなくてヤキモキしたけれど。
今回も動いてほしい。
でも結局時間切れ。途中のケーブルカー駅まで行って後は自力で登ることになった。
最初からこれでは先が思いやられる。
歩き始めは11時頃だったろうか。
スキースロープは急ではないのだけれど、クランポンを履いて延々と上り続けるのはつらい。
途中で20分くらいのピクニック休憩を1回取った後はごく短いドリンク休憩を1時間に1回取ったくらいで歩き続け、Val d’Ayas Guides’ hut(この山小屋なんと発音すればいいのかわかりません。ヴァル・ダヤ・ガイズ・ハット?3348m)は午後6時頃到着。
残念ながらブライトホルンへの登りはパス。
3900m付近まで登ってから500mくらい下りたのだ。どおりで後半が長かったわけだ。
疲れ果てた。
夕食は野菜コンソメスープとローストビーフが数切れのメインディッシュだったが、疲れすぎていたためスープはお汁だけをやっと飲んだのとローストビーフは小さな一切れを口にするだけがやっと。
他のメンバーもさすがに皆あまり食べられなかったようだ。
写真は1枚目がクライン・マッターホルンへのケーブルカー駅で。
左からホセ・マリア、ロレンツォ。
2枚目はスキースロープの登りで、マッターホルンをバックに。
3枚目はモンテローザ周辺の地図。僕らの歩く予定のコースが緑の点線で示してあります。
今日からいよいよモンテローザ・オートルートの山岳ツアーが始まる。
山岳ガイドのマークが早朝4:50にホテルに迎えに来てくれる。
外はまだ真っ暗。
一年ぶりの再会を喜び合う。
クルマにはマークの他にもう一人。スペイン人のLorenzo(ロレンツォ)。
彼は今回のツアーの参加者の一人。
もう一人の参加者をモンタンベール行きの登山鉄道駅で拾うということで駅へ。
やはりスペイン人でJose-Maria (ホセ・マリア)という名前だとか。
男女二人の名前を組み合わせたあまり聞きなれない名前だけれど最後が"a"で終わるので女性だと思っていたら、男性でした。
後で本人に聞いたらこのように男性、女性という順番で名前が組み合わさる場合には男性の名前になるということだ。
ロレンツォとは特に知り合いではないらしい。
僕とカミさん、そして二人のスペイン人の計4人が今回のツアーの参加者。
最初の5日間はこの4人にガイドのマークが付く。
そして最後の1日はモンテローザの最高峰デュフール・ピークに登るためもう一人山岳ガイドが加わって僕らはマークと、スペインの二人はもう一人のガイドとロープトパーティを組む予定。
クルマはシャモニーの谷を鉄道沿いに進み、Martigny(マルティニー)経由でツェルマット方面に向かう。
マルティニーに向かう途中で国境を越えてスイスに入るがここはフリーパス。
マルティニーまでくるともうすっかり明るくなっている。
ここから高速でFisp(フィスプ)へ、さらにマッター谷に向かい、テッシェに到着。
クルマはここまでしか入れないので、一般の人たちは皆クルマをここにおいて、鉄道でツェルマットに向かう。
ここで僕らはマークからヘルメットを借りてザックに装着。
2年前のモンブランのときはマークの会社からはさらにシット・ハーネスと安全環付きカラビナ2個を借りたのだが、今回は自前。それらは去年のヒマラヤ、アイランド・ピークに行くために購入済み。
さらにアイスアックスとクランポンも今回はスポーツ用品店での借り物ではなく自前。
ここでロレンツォとホセ・マリアのザックがかなりコンパクトなものであることに気づく。
僕らよりも体が大きいからザックが小さく見えるということがあるかもしれないけれどそれにしてもコンパクトに良くまとまっていて慣れている感じ。
それに引き換え僕らの荷物は…
体力的に劣る僕らがこの荷物ではちょっと問題。
ツェルマットまで、15分くらい乗っただろうか?
駅から少し歩いてケーブルカーの駅へ。
今日はケーブルカーでKlein Matterhorn(クライン・マッターホルン3883m)まで行き、そこからBreithorn(ブライトホルン4164m)に登り、イタリア側に少し下りて山小屋泊まりの予定。
ケーブルカー駅にはたくさんの登山者が待っている。
ここで問題発生。クライン・マッターホルンまでのケーブルカーが技術的問題で動いてないというのだ。
次の情報はxx分後ということで少し待つが、時間になってもさらに次の情報更新時間が示されるだけ。
ここでマークから説明があって、次の情報更新は10時過ぎになるが、そこまで待って動かないようであれば、約3000mちょっとの途中駅までケーブルカーで行ってそこからスキースロープを約800m歩いて登ることにするという。
歩いて登ると4時間くらいかかるらしい。
モンブランのときもベルビューからの登山電車がなかなか動かなくてヤキモキしたけれど。
今回も動いてほしい。
でも結局時間切れ。途中のケーブルカー駅まで行って後は自力で登ることになった。
最初からこれでは先が思いやられる。
歩き始めは11時頃だったろうか。
スキースロープは急ではないのだけれど、クランポンを履いて延々と上り続けるのはつらい。
途中で20分くらいのピクニック休憩を1回取った後はごく短いドリンク休憩を1時間に1回取ったくらいで歩き続け、Val d’Ayas Guides’ hut(この山小屋なんと発音すればいいのかわかりません。ヴァル・ダヤ・ガイズ・ハット?3348m)は午後6時頃到着。
残念ながらブライトホルンへの登りはパス。
3900m付近まで登ってから500mくらい下りたのだ。どおりで後半が長かったわけだ。
疲れ果てた。
夕食は野菜コンソメスープとローストビーフが数切れのメインディッシュだったが、疲れすぎていたためスープはお汁だけをやっと飲んだのとローストビーフは小さな一切れを口にするだけがやっと。
他のメンバーもさすがに皆あまり食べられなかったようだ。
写真は1枚目がクライン・マッターホルンへのケーブルカー駅で。
左からホセ・マリア、ロレンツォ。
2枚目はスキースロープの登りで、マッターホルンをバックに。
3枚目はモンテローザ周辺の地図。僕らの歩く予定のコースが緑の点線で示してあります。
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Monte Rosa - Chamonix Day 2
2012年8月5日 旅行
7月14日(土)
昨夜は一晩中雨風が吹き荒れていた。
今朝も風雨。
今日天気であれば昨日のコースをプランプラまで引き返してゴンドラリフトでシャモニーへ下りようと思っていたのだけれど、これではラ・フラジェールからレ・プラに下りたほうがよさそうだ。
上下ゴアテックスの完全武装で出発する。
今回ここにはゲーターを持ってきていないのでゴアテックス・パンツの裾をしっかり絞る。
ゆっくり下りはじめるが、前方を歩いていた大きな集団にすぐに追いつく。
日本人のグループだった。14、5人くらいはいただろうか?
どこに行くのか聞いたらオートルートとの回答。
シャモニーからZermatt(ツェルマット)まで歩くらしい。
オートルートといっても3年前僕らが歩いた氷河上のコースとは別物のハイキングのオートルートだろう。
年配者が多いようだった。
先頭には日本人のツア・コンと思しき比較的若いガイド。
この人数でこの天候ではなかなか大変だろう。
抜かさせてもらった。
道はそこらじゅうが川になっていて歩きにくい。
でも、下っているうちに雨は小降りになってきたし、風も少し納まってきた。
結局、ラ・フラジェールに着くころには雨風がやんで視界も開けてきた。
ケーブルカーの駅でトイレに入って小休止。
ゴアテックスを脱いでプランプラへ向かうことにした。
天気はどんどん良くなって青空が見え始める。山の天気は変わりやすい。
プランプラのケーブルカー駅近くで少し道を間違えて遠回りして丘の上に出た。
そこはパラグライダーの離陸場所になっていてお客さんを乗せたタンデムのパラグライダー2機がまさに飛び立とうとしていた。
100ユーロくらい払うとここから飛び立ってシャモニーへ下りる20分くらいの飛行が楽しめるらしい。
最初のパラグライダーは一度飛び立とうとして途中で中止。
引き返してからもう一度丘を駆け下りて飛び立った。僕も一度トライしてみたいが、途中で中止は怖い。
事故は起きていないんだろうか?
シャモニーに下りてからインフォメーションセンターの向かいのパン屋さんで明日からの食糧のフランスパンと今日のピクニック用のサンドイッチを仕入れる。
パン屋さんの前の広場のベンチでピクニック。
それから本屋さんでモンテローザ周辺の地図とシャモニー周辺のハイキング・ガイドを購入。
その後、チーズ屋さんでやはり明日の食糧用のエメンタール・チーズを購入。
カミさんはエメンタール・チーズは好みではないのでスーパーでクリーム・チーズを調達してホテル・デラルベにチェックインした。
写真は最初の2枚がプランプラから飛び立つパラグライダー。
3枚目はホテル・デラルベの前で。
昨夜は一晩中雨風が吹き荒れていた。
今朝も風雨。
今日天気であれば昨日のコースをプランプラまで引き返してゴンドラリフトでシャモニーへ下りようと思っていたのだけれど、これではラ・フラジェールからレ・プラに下りたほうがよさそうだ。
上下ゴアテックスの完全武装で出発する。
今回ここにはゲーターを持ってきていないのでゴアテックス・パンツの裾をしっかり絞る。
ゆっくり下りはじめるが、前方を歩いていた大きな集団にすぐに追いつく。
日本人のグループだった。14、5人くらいはいただろうか?
どこに行くのか聞いたらオートルートとの回答。
シャモニーからZermatt(ツェルマット)まで歩くらしい。
オートルートといっても3年前僕らが歩いた氷河上のコースとは別物のハイキングのオートルートだろう。
年配者が多いようだった。
先頭には日本人のツア・コンと思しき比較的若いガイド。
この人数でこの天候ではなかなか大変だろう。
抜かさせてもらった。
道はそこらじゅうが川になっていて歩きにくい。
でも、下っているうちに雨は小降りになってきたし、風も少し納まってきた。
結局、ラ・フラジェールに着くころには雨風がやんで視界も開けてきた。
ケーブルカーの駅でトイレに入って小休止。
ゴアテックスを脱いでプランプラへ向かうことにした。
天気はどんどん良くなって青空が見え始める。山の天気は変わりやすい。
プランプラのケーブルカー駅近くで少し道を間違えて遠回りして丘の上に出た。
そこはパラグライダーの離陸場所になっていてお客さんを乗せたタンデムのパラグライダー2機がまさに飛び立とうとしていた。
100ユーロくらい払うとここから飛び立ってシャモニーへ下りる20分くらいの飛行が楽しめるらしい。
最初のパラグライダーは一度飛び立とうとして途中で中止。
引き返してからもう一度丘を駆け下りて飛び立った。僕も一度トライしてみたいが、途中で中止は怖い。
事故は起きていないんだろうか?
シャモニーに下りてからインフォメーションセンターの向かいのパン屋さんで明日からの食糧のフランスパンと今日のピクニック用のサンドイッチを仕入れる。
パン屋さんの前の広場のベンチでピクニック。
それから本屋さんでモンテローザ周辺の地図とシャモニー周辺のハイキング・ガイドを購入。
その後、チーズ屋さんでやはり明日の食糧用のエメンタール・チーズを購入。
カミさんはエメンタール・チーズは好みではないのでスーパーでクリーム・チーズを調達してホテル・デラルベにチェックインした。
写真は最初の2枚がプランプラから飛び立つパラグライダー。
3枚目はホテル・デラルベの前で。
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7月13日(金)
8時頃遅めの朝食。
2年前、3年前にも泊まったHotel de l’Arve(ホテル・デラルベ)のおなじみのコンチネンタルブレックファスト。
コーヒーをたっぷりポットに入れて持ってきてくれるのがうれしい。
基本はコンチネンタルなのだけれど、暖かいスクランブルド・エッグとゆで卵はセルフサービスで食べることができる。
ハイキング用のテルモスにお湯をもらって、ティーバッグの緑茶でお茶を準備。
今日は高度順応のためLac Blanc(ラック・ブラン)2352mへ行き、そこの山小屋で宿泊予定。
シャモニーの高度は1000mくらいなのでこれでは不足。
高度順応のためには高地で眠らなくてはならないというのが、僕らの山岳ガイドのマークのアドバイスなので素直に従うことにした。
山小屋の手配もマークがやってくれた。
ラック・ブランに一番楽に行くにはLes Praz(レ・プラ)の町までバスか電車で行って、そこからLa Flégère(ラ・フラジェール)までケーブルカー(日本語ではロープウェイ)で行き、歩くというルートがよいのだけれど、バスや電車の時間に合わせるのがめんどくさい。
それで今回はシャモニーからゴンドラリフトでPlanpraz(プランプラ)まで上がり、そこからトラバースしてラ・フラジェール経由でラック・ブランへ行くことにした。
コースタイム4時間半。プランプラとラ・フラジェールは約2000mくらいの高度でほとんど高度差がないので負担は少ないはず。
日曜日からはハードな氷河歩きが始まるので、エネルギーの消耗は避ける必要がある。
ピクニック用にパンとチーズを買おうと思っていたのだけれど、昨日の飛行機の中でスナック類をいろいろもらって残しておいたものがあるので、スーパーでリンゴとバナナを買い足して今日はそれで済ますことにした。
氷河トレッキング用の食料は明日手に入れることにする。
今日の天気は曇り。この天気だと上からのモンブランの景色もあまり期待できない。
プランプラへのゴンドラリフト乗り場でラック・ブランに行くからと言って片道切符を買おうとするとレ・プラに下りる場合でも使えるから往復切符がお得だという。
親切な切符売りのお姉さんに感謝、往復切符を購入。
プランプラからしばらく林道のような道を歩いた後、細い山道に入る。
アップダウンはあるけれどほとんど急な上り下りはなく歩きやすい道。
林道では遠く前方を歩いている人が見えた。
また、途中何人かのハイカーとすれ違った。
ゆっくり歩いて休憩時間も含んでほぼコースタイムどおりでラ・フラジェール到着。
ここでリンゴやスナックなどで簡単なピクニック。
道はここから緩やかに上る。
一昨年もラ・フラジェールからラック・ブランに登っているのだけれど、あの時はガスっていて視界が悪く、登り口がわかりにくかった。
今年は視界は問題ないので、そのとき迷った道が良くわかる。
すでに時間が遅いためか登山者はほとんどいない。かなり遠い前方に登山者が見え隠れするが僕らの後ろからは誰もついてこない。
モンブランの頂上やシャモニー針峰群の先端は雲の中。
ここもゆっくりゆっくり歩いて2時間と少しでラック・ブラン到着。
一昨年は6月中旬だったせいもあって雪が積もり水溜り程度の湖面しか見えなかったラック・ブランだが今回は湖らしい姿を見せている。
早速小屋で宿泊の手続き。マークは僕らの名前で予約してくれたのだと思ったいたら違っていて彼の名前での予約だった。
マークの名前を出してやっと予約していることがわかってもらえた。マークはここのオーナーとは懇意にしているようだ。
最初、大きなグループのメンバーかと聞かれて何のことか良くわからなかった。後でわかったのだが大きなグループの日本人が泊まっていたのだ。
ザックなどの荷物はすべて1階の入り口の荷物置き場、ロッカーに置かなくてはならない。
部屋への持込ができないのはやや不便。
ベッドに必要なものを置いて、お茶や水、スナックなどを持ってカフェテリアへ。
フランスからの人たち、ドイツからの人たちなどここに泊まる人はいろいろだけど、ほとんどの人はツール・ド・モンブラン、つまりモンブラン周遊ハイキングの人たちみたいだ。
30才台後半と思しきドイツからのカップルの男性は変わった人で日本食が好きでよく日本食レストランに行くらしい。
別にそこまでは特に変わっているわけではないのだが、納豆が好きだと聞いてびっくりした。
イタリア語を習っていたとき、ほとんど全員のイタリア人講師が日本食が好きだといっていたが、納豆だけは皆敬遠していた。
納豆が好きな欧米人をはじめて知った。納豆が好きなヨーロッパの人は初めてだといったら笑っていた。
ハンブルグの出身で今はベルリンに住んでいて芸能関係のイベントのプロデュースをしているらしい。
う~ん、世界は広い。
日本人のグループは最初カフェテリアにいたけれど、やがて引き上げてその後、夕食のときにも戻ってこなかった。
彼らは別棟に泊まっていたようで、夕食もその別棟で他の宿泊客とは別に摂ったようだ。
ここの夕食はすばらしかった。パスタと牛肉の煮込み。肉が柔らかくて口の中でとろける。
デザートも付く。これで宿泊代は夕食/朝食付きで50ユーロ。円高だから5000円足らず。ベッドは広いし…比べちゃいけないのかもしれないけれど日本の山小屋と比べると天国みたい。
写真は1枚目がラ・フラジェールを過ぎたところでモンブラン方面を振り返って。残念ながらモンブランは雲の中。
2枚目はラック・ブランへの途中で遭遇したアイベックス。
3枚目はラック・ブラン小屋の夕食。パスタも牛肉の煮込みも既にだいぶ食べた後…(^^;)
8時頃遅めの朝食。
2年前、3年前にも泊まったHotel de l’Arve(ホテル・デラルベ)のおなじみのコンチネンタルブレックファスト。
コーヒーをたっぷりポットに入れて持ってきてくれるのがうれしい。
基本はコンチネンタルなのだけれど、暖かいスクランブルド・エッグとゆで卵はセルフサービスで食べることができる。
ハイキング用のテルモスにお湯をもらって、ティーバッグの緑茶でお茶を準備。
今日は高度順応のためLac Blanc(ラック・ブラン)2352mへ行き、そこの山小屋で宿泊予定。
シャモニーの高度は1000mくらいなのでこれでは不足。
高度順応のためには高地で眠らなくてはならないというのが、僕らの山岳ガイドのマークのアドバイスなので素直に従うことにした。
山小屋の手配もマークがやってくれた。
ラック・ブランに一番楽に行くにはLes Praz(レ・プラ)の町までバスか電車で行って、そこからLa Flégère(ラ・フラジェール)までケーブルカー(日本語ではロープウェイ)で行き、歩くというルートがよいのだけれど、バスや電車の時間に合わせるのがめんどくさい。
それで今回はシャモニーからゴンドラリフトでPlanpraz(プランプラ)まで上がり、そこからトラバースしてラ・フラジェール経由でラック・ブランへ行くことにした。
コースタイム4時間半。プランプラとラ・フラジェールは約2000mくらいの高度でほとんど高度差がないので負担は少ないはず。
日曜日からはハードな氷河歩きが始まるので、エネルギーの消耗は避ける必要がある。
ピクニック用にパンとチーズを買おうと思っていたのだけれど、昨日の飛行機の中でスナック類をいろいろもらって残しておいたものがあるので、スーパーでリンゴとバナナを買い足して今日はそれで済ますことにした。
氷河トレッキング用の食料は明日手に入れることにする。
今日の天気は曇り。この天気だと上からのモンブランの景色もあまり期待できない。
プランプラへのゴンドラリフト乗り場でラック・ブランに行くからと言って片道切符を買おうとするとレ・プラに下りる場合でも使えるから往復切符がお得だという。
親切な切符売りのお姉さんに感謝、往復切符を購入。
プランプラからしばらく林道のような道を歩いた後、細い山道に入る。
アップダウンはあるけれどほとんど急な上り下りはなく歩きやすい道。
林道では遠く前方を歩いている人が見えた。
また、途中何人かのハイカーとすれ違った。
ゆっくり歩いて休憩時間も含んでほぼコースタイムどおりでラ・フラジェール到着。
ここでリンゴやスナックなどで簡単なピクニック。
道はここから緩やかに上る。
一昨年もラ・フラジェールからラック・ブランに登っているのだけれど、あの時はガスっていて視界が悪く、登り口がわかりにくかった。
今年は視界は問題ないので、そのとき迷った道が良くわかる。
すでに時間が遅いためか登山者はほとんどいない。かなり遠い前方に登山者が見え隠れするが僕らの後ろからは誰もついてこない。
モンブランの頂上やシャモニー針峰群の先端は雲の中。
ここもゆっくりゆっくり歩いて2時間と少しでラック・ブラン到着。
一昨年は6月中旬だったせいもあって雪が積もり水溜り程度の湖面しか見えなかったラック・ブランだが今回は湖らしい姿を見せている。
早速小屋で宿泊の手続き。マークは僕らの名前で予約してくれたのだと思ったいたら違っていて彼の名前での予約だった。
マークの名前を出してやっと予約していることがわかってもらえた。マークはここのオーナーとは懇意にしているようだ。
最初、大きなグループのメンバーかと聞かれて何のことか良くわからなかった。後でわかったのだが大きなグループの日本人が泊まっていたのだ。
ザックなどの荷物はすべて1階の入り口の荷物置き場、ロッカーに置かなくてはならない。
部屋への持込ができないのはやや不便。
ベッドに必要なものを置いて、お茶や水、スナックなどを持ってカフェテリアへ。
フランスからの人たち、ドイツからの人たちなどここに泊まる人はいろいろだけど、ほとんどの人はツール・ド・モンブラン、つまりモンブラン周遊ハイキングの人たちみたいだ。
30才台後半と思しきドイツからのカップルの男性は変わった人で日本食が好きでよく日本食レストランに行くらしい。
別にそこまでは特に変わっているわけではないのだが、納豆が好きだと聞いてびっくりした。
イタリア語を習っていたとき、ほとんど全員のイタリア人講師が日本食が好きだといっていたが、納豆だけは皆敬遠していた。
納豆が好きな欧米人をはじめて知った。納豆が好きなヨーロッパの人は初めてだといったら笑っていた。
ハンブルグの出身で今はベルリンに住んでいて芸能関係のイベントのプロデュースをしているらしい。
う~ん、世界は広い。
日本人のグループは最初カフェテリアにいたけれど、やがて引き上げてその後、夕食のときにも戻ってこなかった。
彼らは別棟に泊まっていたようで、夕食もその別棟で他の宿泊客とは別に摂ったようだ。
ここの夕食はすばらしかった。パスタと牛肉の煮込み。肉が柔らかくて口の中でとろける。
デザートも付く。これで宿泊代は夕食/朝食付きで50ユーロ。円高だから5000円足らず。ベッドは広いし…比べちゃいけないのかもしれないけれど日本の山小屋と比べると天国みたい。
写真は1枚目がラ・フラジェールを過ぎたところでモンブラン方面を振り返って。残念ながらモンブランは雲の中。
2枚目はラック・ブランへの途中で遭遇したアイベックス。
3枚目はラック・ブラン小屋の夕食。パスタも牛肉の煮込みも既にだいぶ食べた後…(^^;)
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Monte Rosa - Chamonix Day 0
2012年8月1日 旅行7月12日(木)
最寄り駅までタクシー利用。
そこから成田まではリムジンバス。
この方法だと今回のように荷物がダッフルバッグで持ち運びが簡単でない場合でも途中の乗換えないので楽。
僕らの便はBA機。ヒースロー経由で目的地のジュネーブへ。
搭乗したBA機はほぼ予定通りジュネーブ到着。
恐れていたヒースローでの預けた荷物の積み残しもなく無事ジュネーブで受け取り。
ヒースローでの積み残しに備えて、翌日のハイキングの装備一式は手荷物で持っていたし、ハイキングで使う登山靴は履いてきたので準備万端だったのだが、あらかじめ備えていたときはこんなものなのだろう。
で、予定通り、予約していたAlpy Busですんなりシャモニーに行けるかと思ったらそうは問屋がおろさない。
荷物を受け取って出てこれたのはバスの予定時刻の21:00頃。
でも、ドライバーが見つからない。
しょうがないので公衆電話でAlpy Busに電話しようとするが、なかなかかけ方がわからない。
周りの人に聞いてやっと電話番号の前に"00"を加える必要があることがわかる。
クレジットカードでの電話なのだが、クレジットカードがうまく読み込める場合とそうでない場合があって不安定。
やっとのことでAlpy Busに繋がって出てきた女性に事情を話すと22:00にもう一度行くからとのこと。
今度は逃してはならないと22:00近くには出口近くを徘徊したのだが…。
またもやドライバーと遭遇できず。
う~ん。
また、Alpy Busに電話。
ドライバーは迎えに行ったのだがという返事。悪いけれど今日はもう無理とのこと。
いったいドライバーはどこにいたのだろう。
後から思えば最初の電話で僕がここで使える携帯を持っていないことを言っておくべきだった。
Internetで予約したとき、携帯電話の番号を入力することが必須だったので国内で使っている携帯の番号を入れておいたのだが、ここでは使えない。
ドライバーはその電話にかけて連絡とれずということで帰ったのかもしれない。
時差ボケのせいか頭がそこまで回らなかった。
こうなると今日中にシャモニーに着くためにはタクシーを利用するしかない。
最初からこんなことで落ち込むが、落ち込んでいる暇はないのだ。
タクシー乗り場に行くが先頭にいたのはいかにも高そうなメルセデス。
シャモニーまでの値段を聞いたら約400フランとのこと。高っ…。
その後ろのプジョー(たぶん)のドライバーに聞いたら280フランくらいだという。
それでも十分高いが、もう選択肢はないのでお願いすることにする。
シャモニーのホテルの住所(なかなか出てこなかった)をナビに入力してもらって一路シャモニーへ…といいたいところだが、このドライバー、普通は空港からすぐ高速に入れるはずなのになぜかジュネーブ市内を走り回っている。
ダイジョブなのかしらん。
それでも、なんとか高速にのって走り始める。
やがて国境へ。
深夜なので国境のオフィスは閉まっているが、タクシーのドライバーはタクシーとしてフランス側に行くためには手続きが必要だという。
彼はクルマを止めてオフィスを覗くが、やはりどうにもならないようだ。
あきらめて、走り出すのかと思えば…エンジンフードを開けてなにやらゴソゴソ。
それから天井のタクシー灯をはずしてクルマの中へ。
フランスでポリスに止められたとき国境で手続きした書類を見せないとトラブルになるとのこと。
僕としては国境のオフィスが深夜で閉まっていたからと言い訳すればいいのではないかと思うが、どうもそういうものでもないらしい。
ここからは覆面タクシーになる。
このあとはまあまあ順調にシャモニーへ。
シャモニー市内はクルマが入れない道もあり、いろいろ回り道を強いられたけれど目的地のホテルに何とか無事到着。
料金は300フランを大幅に超えていた。
280フランというのは国境からとか何とか言い訳していた。ヤレヤレ。
料金はクレジットカード払い。
いろいろ言いたいことはあったけれど、タクシー灯をはずしてまでここまできてくれたドライバーに感謝して少しチップを渡した。
Alpy Busに乗れれば二人で52ユーロで済むところが大変な出費になってしまった。このあたりが個人旅行のリスク。
初日からこのトラブルでは先が思いやられるが…
この後は簡単にお風呂に入ってバタンキュー。
最寄り駅までタクシー利用。
そこから成田まではリムジンバス。
この方法だと今回のように荷物がダッフルバッグで持ち運びが簡単でない場合でも途中の乗換えないので楽。
僕らの便はBA機。ヒースロー経由で目的地のジュネーブへ。
搭乗したBA機はほぼ予定通りジュネーブ到着。
恐れていたヒースローでの預けた荷物の積み残しもなく無事ジュネーブで受け取り。
ヒースローでの積み残しに備えて、翌日のハイキングの装備一式は手荷物で持っていたし、ハイキングで使う登山靴は履いてきたので準備万端だったのだが、あらかじめ備えていたときはこんなものなのだろう。
で、予定通り、予約していたAlpy Busですんなりシャモニーに行けるかと思ったらそうは問屋がおろさない。
荷物を受け取って出てこれたのはバスの予定時刻の21:00頃。
でも、ドライバーが見つからない。
しょうがないので公衆電話でAlpy Busに電話しようとするが、なかなかかけ方がわからない。
周りの人に聞いてやっと電話番号の前に"00"を加える必要があることがわかる。
クレジットカードでの電話なのだが、クレジットカードがうまく読み込める場合とそうでない場合があって不安定。
やっとのことでAlpy Busに繋がって出てきた女性に事情を話すと22:00にもう一度行くからとのこと。
今度は逃してはならないと22:00近くには出口近くを徘徊したのだが…。
またもやドライバーと遭遇できず。
う~ん。
また、Alpy Busに電話。
ドライバーは迎えに行ったのだがという返事。悪いけれど今日はもう無理とのこと。
いったいドライバーはどこにいたのだろう。
後から思えば最初の電話で僕がここで使える携帯を持っていないことを言っておくべきだった。
Internetで予約したとき、携帯電話の番号を入力することが必須だったので国内で使っている携帯の番号を入れておいたのだが、ここでは使えない。
ドライバーはその電話にかけて連絡とれずということで帰ったのかもしれない。
時差ボケのせいか頭がそこまで回らなかった。
こうなると今日中にシャモニーに着くためにはタクシーを利用するしかない。
最初からこんなことで落ち込むが、落ち込んでいる暇はないのだ。
タクシー乗り場に行くが先頭にいたのはいかにも高そうなメルセデス。
シャモニーまでの値段を聞いたら約400フランとのこと。高っ…。
その後ろのプジョー(たぶん)のドライバーに聞いたら280フランくらいだという。
それでも十分高いが、もう選択肢はないのでお願いすることにする。
シャモニーのホテルの住所(なかなか出てこなかった)をナビに入力してもらって一路シャモニーへ…といいたいところだが、このドライバー、普通は空港からすぐ高速に入れるはずなのになぜかジュネーブ市内を走り回っている。
ダイジョブなのかしらん。
それでも、なんとか高速にのって走り始める。
やがて国境へ。
深夜なので国境のオフィスは閉まっているが、タクシーのドライバーはタクシーとしてフランス側に行くためには手続きが必要だという。
彼はクルマを止めてオフィスを覗くが、やはりどうにもならないようだ。
あきらめて、走り出すのかと思えば…エンジンフードを開けてなにやらゴソゴソ。
それから天井のタクシー灯をはずしてクルマの中へ。
フランスでポリスに止められたとき国境で手続きした書類を見せないとトラブルになるとのこと。
僕としては国境のオフィスが深夜で閉まっていたからと言い訳すればいいのではないかと思うが、どうもそういうものでもないらしい。
ここからは覆面タクシーになる。
このあとはまあまあ順調にシャモニーへ。
シャモニー市内はクルマが入れない道もあり、いろいろ回り道を強いられたけれど目的地のホテルに何とか無事到着。
料金は300フランを大幅に超えていた。
280フランというのは国境からとか何とか言い訳していた。ヤレヤレ。
料金はクレジットカード払い。
いろいろ言いたいことはあったけれど、タクシー灯をはずしてまでここまできてくれたドライバーに感謝して少しチップを渡した。
Alpy Busに乗れれば二人で52ユーロで済むところが大変な出費になってしまった。このあたりが個人旅行のリスク。
初日からこのトラブルでは先が思いやられるが…
この後は簡単にお風呂に入ってバタンキュー。
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Monte Rosa
2012年7月27日 旅行
一昨日、7月25日(水)、日本に戻ってきました。
2週間の旅行でした。
そのうち、Monte Rosaへの氷河トレッキングは5日間。
本当は6日間の予定でしたが、悪天候が予想されたため、最終日の行程はあきらめることになりました。
Monte Rosaはいくつものピークからなる針山のような山です。
いくつかのピークには登ったものの最終日に予定されていた最高峰のDufour Peakへの到達はなりませんでした。
今回はハプニングが重なったこともありかなりハードな山行になりました。
怖い目にもあいました。
山を下りてから僕の体調はボロボロ。
でも、カミさんはなぜか元気。
う~ん。
でも今は無事に帰ってこられたことに感謝しています。
詳細はまた別途。
2週間の旅行でした。
そのうち、Monte Rosaへの氷河トレッキングは5日間。
本当は6日間の予定でしたが、悪天候が予想されたため、最終日の行程はあきらめることになりました。
Monte Rosaはいくつものピークからなる針山のような山です。
いくつかのピークには登ったものの最終日に予定されていた最高峰のDufour Peakへの到達はなりませんでした。
今回はハプニングが重なったこともありかなりハードな山行になりました。
怖い目にもあいました。
山を下りてから僕の体調はボロボロ。
でも、カミさんはなぜか元気。
う~ん。
でも今は無事に帰ってこられたことに感謝しています。
詳細はまた別途。
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北八ヶ岳雪上散歩 Part 1
2012年6月10日 旅行これも前回と同様、ずいぶん前の話題ですが、個人的な都合でここに記録しておくことにします。
ゴールデンウィークの最後に少し休暇を足して北八ヶ岳に行ってきました。
2009年から毎年この時期に来ていますので今年で4回目。
5月6日に麦草ヒュッテまでクルマで来てこの日は麦草ヒュッテ泊まり。
お昼頃麦草ヒュッテ到着。
僕はヒュッテで天ぷらそばをいただいて、カミさんは自参のフランスパンで昼食。サービスのコーヒーをいただいてしまいました。感謝です。
落雷のためヒュッテは停電中。ポンプで地下水をくみ上げているため、停電が続くと影響が大きいようです。
この日は悪天候。午後から吹雪になりました。
でも、ちょっと足慣らしはしておきたいので、完全武装で出かけました。
上はゴアテックス雨具。下はゴアテックスのアルパインパンツ。
ゲーターに冬用登山靴。12本爪のCramponを持って出発。
丸山に登って、高見石小屋を経て白駒の池に下ってそこから麦草ヒュッテに戻るコース。
吹雪だったので視界が悪化して危険を感じたら引き返そうと思っていたのですが、樹林帯だったので風もそうひどくなく、予定通りの雪上散歩を楽しみました。丸山の登りで2組、計3人の登山者とすれ違った以外は全く人には会いませんでした。
吹雪で誰もいない氷結した白駒池は幻想的な眺めでした。
この日はあまりにも天候が悪かったため、写真はなし。ちょっと残念。
幸いヒュッテの停電は復旧したようです。
夕食はハンバーグ。十分満足。
宿泊客は僕らだけ。
ヒュッテの経営はいろいろ大変みたいなのですが、何とか維持していって欲しいものです。
寝るときに炬燵を使ってもよいという許可が出ましたので、炬燵に足を突っ込んで就寝。ヌクヌクでよく寝られました。
ゴールデンウィークの最後に少し休暇を足して北八ヶ岳に行ってきました。
2009年から毎年この時期に来ていますので今年で4回目。
5月6日に麦草ヒュッテまでクルマで来てこの日は麦草ヒュッテ泊まり。
お昼頃麦草ヒュッテ到着。
僕はヒュッテで天ぷらそばをいただいて、カミさんは自参のフランスパンで昼食。サービスのコーヒーをいただいてしまいました。感謝です。
落雷のためヒュッテは停電中。ポンプで地下水をくみ上げているため、停電が続くと影響が大きいようです。
この日は悪天候。午後から吹雪になりました。
でも、ちょっと足慣らしはしておきたいので、完全武装で出かけました。
上はゴアテックス雨具。下はゴアテックスのアルパインパンツ。
ゲーターに冬用登山靴。12本爪のCramponを持って出発。
丸山に登って、高見石小屋を経て白駒の池に下ってそこから麦草ヒュッテに戻るコース。
吹雪だったので視界が悪化して危険を感じたら引き返そうと思っていたのですが、樹林帯だったので風もそうひどくなく、予定通りの雪上散歩を楽しみました。丸山の登りで2組、計3人の登山者とすれ違った以外は全く人には会いませんでした。
吹雪で誰もいない氷結した白駒池は幻想的な眺めでした。
この日はあまりにも天候が悪かったため、写真はなし。ちょっと残念。
幸いヒュッテの停電は復旧したようです。
夕食はハンバーグ。十分満足。
宿泊客は僕らだけ。
ヒュッテの経営はいろいろ大変みたいなのですが、何とか維持していって欲しいものです。
寝るときに炬燵を使ってもよいという許可が出ましたので、炬燵に足を突っ込んで就寝。ヌクヌクでよく寝られました。
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Project "Monte Rosa"
2012年2月26日 旅行
今年の夏、モンテローザに挑戦することにしました。
モンテローザはシャモニーからケーブルカー(日本語ではロープウェイ)で登ったところにあるエギーユ・デュ・ミディ展望台から見ると巨大な針山。
たくさんのピークの集合体の山です。
一番高いピークはDufour Peak (4634m)。
モンテローザはマッターホルンと同じヴァリス山群にあるスイスとイタリアにまたがる山でDufour Peak はスイスの最高峰。
例によって山岳ガイドはフランスの国際山岳ガイドのマーク。
トレッキングは予備日も入れて1週間で、4000mの氷河をアップダウンしながら最後にDufour Peak を目指すという計画。
モンブランよりも楽かと思って申し込んだのですが、よくよく行程を確認したらDufour Peak は小屋から1800m登らなくちゃならないし、その日中に2000m下らなくちゃならない。僕らはモンブランの時には下の小屋から登ったのだけれどそれでも登りは1600mだったのでそれよりもきついということになる。
ちょっとうかつだった。心してかからないと大変なことになりそう。
とりあえず2月の初旬からまた週末トレーニングを始めたんだけど…
この続きはまた…
モンテローザはシャモニーからケーブルカー(日本語ではロープウェイ)で登ったところにあるエギーユ・デュ・ミディ展望台から見ると巨大な針山。
たくさんのピークの集合体の山です。
一番高いピークはDufour Peak (4634m)。
モンテローザはマッターホルンと同じヴァリス山群にあるスイスとイタリアにまたがる山でDufour Peak はスイスの最高峰。
例によって山岳ガイドはフランスの国際山岳ガイドのマーク。
トレッキングは予備日も入れて1週間で、4000mの氷河をアップダウンしながら最後にDufour Peak を目指すという計画。
モンブランよりも楽かと思って申し込んだのですが、よくよく行程を確認したらDufour Peak は小屋から1800m登らなくちゃならないし、その日中に2000m下らなくちゃならない。僕らはモンブランの時には下の小屋から登ったのだけれどそれでも登りは1600mだったのでそれよりもきついということになる。
ちょっとうかつだった。心してかからないと大変なことになりそう。
とりあえず2月の初旬からまた週末トレーニングを始めたんだけど…
この続きはまた…
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Project "IP" - Epilog
2012年1月21日 旅行
ネパールから帰って2か月半も経ってからエピローグというのも間が抜けているのだけれど、やはりちょっと書き留めておきたいことがある。
このトレッキングは僕らにとって今までで最も過酷なものだったと思う。
その辺のところをまだ書いていないような気がするからだ。
僕にとってテント生活は初めてだったし、カミさんは学生時代にワンゲルで多少経験があるといってもこんな長期は初めて。
食事は全て現地スタッフのお世話になっているので普段からテント持ちで山を楽しんでいるヤマ屋さんからは何を甘いことを言っているんだと言われそうだけど、僕らにとってはやっぱり結構大変だったというしかないので…。
スリーピングバッグは冬の3000mクラスの山でも耐えられるものを持って行ったので、最初の4000m位までの場所では十分暖かく寝られたのだけれど…。
僕にとって何が一番大変だったかというと夜のトイレ。
ここから先は食事中や食事前後の方は読まないでください。
高山病にならないためには1日3リットル以上の水分をとるように言われているので、とにかくお茶や休憩のときに出されるホットジュース、夜のスープなどはお代わりをしたり、とにかくいっぱい飲むことを心がけた。
その代償としてトイレはかなり頻繁に行くようになるわけで…。
夜もそのために何回も起きることがある。
寝ていて尿意を感じると暖かいスリーピングバッグのファスナーを下しておもむろに抜け出すわけだけれど、高度が4000mを超す場所ではテントの中でも零下になっているわけで抜け出すと寒さのために尿意がちょっと深刻さを増すのです。
なんとかダウンジャケットを羽織ってテントの内側のファスナーを下すと冷たい風が体にあたってその深刻さはますますひどくなり…。
テントの外側のファスナーを下すとさらに冷たい空気にさらされていよいよせっぱつまった状態に。
しかもテントの狭い出口をくぐって靴を履くのに体を折り曲げて不自然な状態になるためにもう耐えられない…。
というわけであまり申し上げられないような情けない状態になる場合があるわけで…。
そうなるとその後の精神的ダメージも残ってちょっとつらい思いをするわけです。
トイレはほとんどの場合、トイレテントが設営されるのでそこでするのですが、ちょっと離れている場合もあって…申し訳ないけれど間に合わなさそうなときには近場で済ますことも、特にツアー後半は、あったことを白状します。
というわけで5000m前後の高所でのテント泊はつらかったのです。
そんなに高度が高くはなかったけれど雪が降ったディンボチェは特に寒かったし、極め付きはアイランドピークのベースキャンプで、ここは雪の上にテントを張ることになったので寒くてなかなか寝付けなかったし…。
え?その情けない状態になった時にどうしたかって?そんなこと聞かんでください。(^^;)
トレッキングもほとんど終りに近くなってから分かったことですが、ガイドのマークは夕方からは水分の摂取はちょっと控えめにしていたみたい。
やはり慣れている人はいろいろ工夫されているようで…。
彼はトレッキング中は結構頻繁に用を足していたので、朝とか行動中に水分を多くとるようにしていたのではないかと思う。
その他、これは前に少し書いたけれど、おなかの調子が悪くなったことがあって、やはりそんな時は行動中もちょっと不安になるし…。
トイレには結構悩まされた。
これが、今までの日本やヨーロッパの山旅にはなかった大変さだったような気がする。
また、もしヒマラヤのトレッキングをする機会がある場合には夜のトイレ対策が必要だと思っている。
ちなみにカミさんは夜中のトイレについてはそこまで深刻な状態にはならなかったようだが、アイランドピーク登攀時の寒さにはこたえたようで、寒さ対策が今後の課題だとのこと。
今回、アイランドピークに登頂できなかったのは残念だった。
二人脱落というアクシデントがなければ登れていたかどうかはわからないけれど、僕ら自身の体力不足や体調不良で中止になったわけではないので精神的には楽だったような気がする。
再挑戦するかどうかはわからないけれど、楽なコースではないのでその場合には相当な覚悟が必要なことだけは確かだ。
しばらくはもう少し楽な山を楽しみたいと思っている。
トレッキングを楽しんで無事に帰ってこられたのも、ガイドのマークや献身的に支えてくれた現地スタッフ、同行したフランス、スペイン、ベルギーの参加者の皆さん、カトマンズでお世話になったニーマさん、ダドマさんなどニーマファミリーの皆さんのおかげです。
最後にこれらすべての皆さんに感謝してこのトレッキングのエピローグとさせてください。
写真は最初がシャンボチェの丘でエベレスト、ローツェ、アマダブラムをバックに。
2枚目はゴーキョピークで。
3枚目はアイランドピークの登り、朝、未明。
このトレッキングは僕らにとって今までで最も過酷なものだったと思う。
その辺のところをまだ書いていないような気がするからだ。
僕にとってテント生活は初めてだったし、カミさんは学生時代にワンゲルで多少経験があるといってもこんな長期は初めて。
食事は全て現地スタッフのお世話になっているので普段からテント持ちで山を楽しんでいるヤマ屋さんからは何を甘いことを言っているんだと言われそうだけど、僕らにとってはやっぱり結構大変だったというしかないので…。
スリーピングバッグは冬の3000mクラスの山でも耐えられるものを持って行ったので、最初の4000m位までの場所では十分暖かく寝られたのだけれど…。
僕にとって何が一番大変だったかというと夜のトイレ。
ここから先は食事中や食事前後の方は読まないでください。
高山病にならないためには1日3リットル以上の水分をとるように言われているので、とにかくお茶や休憩のときに出されるホットジュース、夜のスープなどはお代わりをしたり、とにかくいっぱい飲むことを心がけた。
その代償としてトイレはかなり頻繁に行くようになるわけで…。
夜もそのために何回も起きることがある。
寝ていて尿意を感じると暖かいスリーピングバッグのファスナーを下しておもむろに抜け出すわけだけれど、高度が4000mを超す場所ではテントの中でも零下になっているわけで抜け出すと寒さのために尿意がちょっと深刻さを増すのです。
なんとかダウンジャケットを羽織ってテントの内側のファスナーを下すと冷たい風が体にあたってその深刻さはますますひどくなり…。
テントの外側のファスナーを下すとさらに冷たい空気にさらされていよいよせっぱつまった状態に。
しかもテントの狭い出口をくぐって靴を履くのに体を折り曲げて不自然な状態になるためにもう耐えられない…。
というわけであまり申し上げられないような情けない状態になる場合があるわけで…。
そうなるとその後の精神的ダメージも残ってちょっとつらい思いをするわけです。
トイレはほとんどの場合、トイレテントが設営されるのでそこでするのですが、ちょっと離れている場合もあって…申し訳ないけれど間に合わなさそうなときには近場で済ますことも、特にツアー後半は、あったことを白状します。
というわけで5000m前後の高所でのテント泊はつらかったのです。
そんなに高度が高くはなかったけれど雪が降ったディンボチェは特に寒かったし、極め付きはアイランドピークのベースキャンプで、ここは雪の上にテントを張ることになったので寒くてなかなか寝付けなかったし…。
え?その情けない状態になった時にどうしたかって?そんなこと聞かんでください。(^^;)
トレッキングもほとんど終りに近くなってから分かったことですが、ガイドのマークは夕方からは水分の摂取はちょっと控えめにしていたみたい。
やはり慣れている人はいろいろ工夫されているようで…。
彼はトレッキング中は結構頻繁に用を足していたので、朝とか行動中に水分を多くとるようにしていたのではないかと思う。
その他、これは前に少し書いたけれど、おなかの調子が悪くなったことがあって、やはりそんな時は行動中もちょっと不安になるし…。
トイレには結構悩まされた。
これが、今までの日本やヨーロッパの山旅にはなかった大変さだったような気がする。
また、もしヒマラヤのトレッキングをする機会がある場合には夜のトイレ対策が必要だと思っている。
ちなみにカミさんは夜中のトイレについてはそこまで深刻な状態にはならなかったようだが、アイランドピーク登攀時の寒さにはこたえたようで、寒さ対策が今後の課題だとのこと。
今回、アイランドピークに登頂できなかったのは残念だった。
二人脱落というアクシデントがなければ登れていたかどうかはわからないけれど、僕ら自身の体力不足や体調不良で中止になったわけではないので精神的には楽だったような気がする。
再挑戦するかどうかはわからないけれど、楽なコースではないのでその場合には相当な覚悟が必要なことだけは確かだ。
しばらくはもう少し楽な山を楽しみたいと思っている。
トレッキングを楽しんで無事に帰ってこられたのも、ガイドのマークや献身的に支えてくれた現地スタッフ、同行したフランス、スペイン、ベルギーの参加者の皆さん、カトマンズでお世話になったニーマさん、ダドマさんなどニーマファミリーの皆さんのおかげです。
最後にこれらすべての皆さんに感謝してこのトレッキングのエピローグとさせてください。
写真は最初がシャンボチェの丘でエベレスト、ローツェ、アマダブラムをバックに。
2枚目はゴーキョピークで。
3枚目はアイランドピークの登り、朝、未明。
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10月31日。
いよいよカトマンドゥ最終日。
昨日、グエンからもらって飲んだアスピリンが効いたせいか気分は少しいい。
熱が多少下がったのかもしれない。グエンに感謝。
まだ、平熱ではないけれど何とか帰れそうだ。
ゆっくり起きて朝食をとった。
スペイン・チームは既に出発した。
ダッフルバッグの切れた部分にガム・テープを貼って補修。
何とか家までもって欲しい。
空港行きのクルマに乗り込むときにニーマさんがカタをかけてくれる。
ダドマさんやテンジン、ニーマ家の皆さんとお別れの挨拶。
本当にお世話になりました。
空港でチェックインカウンターまで案内してくれる親切な人がいたけれどやっぱりあとからチップをせびられる。幸か不幸か僕らはもうネパール・ルピーも少額のドル札も持っていなかったので勘弁してもらった。
チェックインは難なく完了。ダッフルバッグの重量はぎりぎりだったと思うのでちょっと心配したけれど問題はなかった。
タイ航空の僕らの便は遅れているようだ。
係りの人が教えてくれた搭乗口付近の待合室でひたすら待った。搭乗口には案内板もなく、Flight Numberの表示もないので、アナウンスだけが頼り。そのアナウンスもナマリが強い英語で聞き取りにくい。
約1時間遅れで出発。
バンコックの空港に着くとここはホントに国際レベルのきれいな空港なのでカトマンドゥとの落差を感じる。
乗り継ぎの待ち時間が長いので搭乗口付近の待合室が開くまでの時間、手前のベンチで休憩。同じ便に乗るネパールの娘さんに声をかけられて少しおしゃべり。
日本で勉強しているらしい。日本での住所が僕らのウチからそんなに遠くないところなのでびっくり。インド系の顔立ちの美人さんだが、きれいな日本語をしゃべる。
ネパール語、インド語、英語、日本語などを操るマルチリンガル。
ネパールの裕福な人たちは外国語教育や留学などに熱心のようだ。
これはニーマさん、ダドマさんたちも同じ。
ネパールは観光立国なのでまず、英語など外国語ができないと収入の良い仕事に就けないらしい。
僕の体調は良くはないけれど、タイ航空の食事は悪くないので何とかある程度は食べられる。
成田について検疫のところの体温チェックでひっかからないかヒヤヒヤしたけれど無事通過。預けた荷物を受け取れたときはほっとした。
電車の乗換がつらいので最寄りの駅までノンストップで行くバスを利用した。
そこからは自宅までタクシーを拾う。
3週間以上家を空けたけれど、留守中、義理の両親や妹たちが来てくれて庭の手入れまでしてくれたおかげで出かける前よりきれいになっていたのでびっくり。
感謝。
かなりヨレヨレだけど無事に帰ってこれてよかった。感謝。
ここまでこの旅行記の駄文に付き合ってくださった皆様にも感謝です。
写真はカトマンドゥ空港の国際線搭乗口。
いよいよカトマンドゥ最終日。
昨日、グエンからもらって飲んだアスピリンが効いたせいか気分は少しいい。
熱が多少下がったのかもしれない。グエンに感謝。
まだ、平熱ではないけれど何とか帰れそうだ。
ゆっくり起きて朝食をとった。
スペイン・チームは既に出発した。
ダッフルバッグの切れた部分にガム・テープを貼って補修。
何とか家までもって欲しい。
空港行きのクルマに乗り込むときにニーマさんがカタをかけてくれる。
ダドマさんやテンジン、ニーマ家の皆さんとお別れの挨拶。
本当にお世話になりました。
空港でチェックインカウンターまで案内してくれる親切な人がいたけれどやっぱりあとからチップをせびられる。幸か不幸か僕らはもうネパール・ルピーも少額のドル札も持っていなかったので勘弁してもらった。
チェックインは難なく完了。ダッフルバッグの重量はぎりぎりだったと思うのでちょっと心配したけれど問題はなかった。
タイ航空の僕らの便は遅れているようだ。
係りの人が教えてくれた搭乗口付近の待合室でひたすら待った。搭乗口には案内板もなく、Flight Numberの表示もないので、アナウンスだけが頼り。そのアナウンスもナマリが強い英語で聞き取りにくい。
約1時間遅れで出発。
バンコックの空港に着くとここはホントに国際レベルのきれいな空港なのでカトマンドゥとの落差を感じる。
乗り継ぎの待ち時間が長いので搭乗口付近の待合室が開くまでの時間、手前のベンチで休憩。同じ便に乗るネパールの娘さんに声をかけられて少しおしゃべり。
日本で勉強しているらしい。日本での住所が僕らのウチからそんなに遠くないところなのでびっくり。インド系の顔立ちの美人さんだが、きれいな日本語をしゃべる。
ネパール語、インド語、英語、日本語などを操るマルチリンガル。
ネパールの裕福な人たちは外国語教育や留学などに熱心のようだ。
これはニーマさん、ダドマさんたちも同じ。
ネパールは観光立国なのでまず、英語など外国語ができないと収入の良い仕事に就けないらしい。
僕の体調は良くはないけれど、タイ航空の食事は悪くないので何とかある程度は食べられる。
成田について検疫のところの体温チェックでひっかからないかヒヤヒヤしたけれど無事通過。預けた荷物を受け取れたときはほっとした。
電車の乗換がつらいので最寄りの駅までノンストップで行くバスを利用した。
そこからは自宅までタクシーを拾う。
3週間以上家を空けたけれど、留守中、義理の両親や妹たちが来てくれて庭の手入れまでしてくれたおかげで出かける前よりきれいになっていたのでびっくり。
感謝。
かなりヨレヨレだけど無事に帰ってこれてよかった。感謝。
ここまでこの旅行記の駄文に付き合ってくださった皆様にも感謝です。
写真はカトマンドゥ空港の国際線搭乗口。
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Project "IP" - Kathmandu Day 5
2011年12月23日 旅行
10月30日。
7:30 朝食。
今日は古代に首都として栄えた古都、パタンへ。
…なのだけれど僕の体調は最悪になりつつある。
よっぽどパタンはパスして部屋で寝ていようかと思ったのだけれど…
パタンへのツアー参加者は僕らとナタリー、セルジの夫婦とアントワ。
クックのクマがガイド。
ニーマさんのところのドライバーがクルマで送ってくれる。
パタンまで約30分。
狭い道を通って駐車場へ。
ダルバール広場で入場料を払う。
広場の一番目立つ位置にあるクリシュナ寺院は2階にクリシュナ、3階にシヴァ、4階にブッダが祀られているとのこと。ヒンドゥー教と仏教が一つの建物に不思議な感じがする。
ダルバール広場をざっと歩いた後で、ゴールデンテンプルへ。
この時すでに僕の体調は最悪。ちょっと熱っぽい。
やっぱり部屋で寝ていればよかったかも。
2時間くらい歩きながら見学したろうか。クルマでニーマさんのウチに送ってもらう。
帰ってから僕は完全にダウンで即ベッドへ。
ランチもバナナとアップル・ジュースだけ。
体が熱っぽい。このままだと明日のフライトも延期しないとダメかもと思い始める。
カミさんに頼んでダドマさんから体温計を借りる。
99.9°F。摂氏換算だと何度になるのか?? ダドマさんいわく微熱だから大丈夫とのこと。37度台らしい。でも僕は平熱低いから37度以上あるとかなりつらいんですけど…。それでもそのくらいなら何とか明日のフライトをキャンセルしなくても済みそうだ。少し安心した。
フランス・チームは今日の午後遅い便で発つ。
僕はつらくてベッドで寝ていたので挨拶できなかった。残念。
スペイン・チームは明日朝早く立つ予定。
僕らとグエンの飛行機はお昼頃の出発なので1台のクルマで空港まで送ってもらう予定。
結局、夕食も僕はバナナだけ。情けない。
写真は最初がパタンのダルバール広場で。
2枚目、3枚目はゴールデンテンプルで。
7:30 朝食。
今日は古代に首都として栄えた古都、パタンへ。
…なのだけれど僕の体調は最悪になりつつある。
よっぽどパタンはパスして部屋で寝ていようかと思ったのだけれど…
パタンへのツアー参加者は僕らとナタリー、セルジの夫婦とアントワ。
クックのクマがガイド。
ニーマさんのところのドライバーがクルマで送ってくれる。
パタンまで約30分。
狭い道を通って駐車場へ。
ダルバール広場で入場料を払う。
広場の一番目立つ位置にあるクリシュナ寺院は2階にクリシュナ、3階にシヴァ、4階にブッダが祀られているとのこと。ヒンドゥー教と仏教が一つの建物に不思議な感じがする。
ダルバール広場をざっと歩いた後で、ゴールデンテンプルへ。
この時すでに僕の体調は最悪。ちょっと熱っぽい。
やっぱり部屋で寝ていればよかったかも。
2時間くらい歩きながら見学したろうか。クルマでニーマさんのウチに送ってもらう。
帰ってから僕は完全にダウンで即ベッドへ。
ランチもバナナとアップル・ジュースだけ。
体が熱っぽい。このままだと明日のフライトも延期しないとダメかもと思い始める。
カミさんに頼んでダドマさんから体温計を借りる。
99.9°F。摂氏換算だと何度になるのか?? ダドマさんいわく微熱だから大丈夫とのこと。37度台らしい。でも僕は平熱低いから37度以上あるとかなりつらいんですけど…。それでもそのくらいなら何とか明日のフライトをキャンセルしなくても済みそうだ。少し安心した。
フランス・チームは今日の午後遅い便で発つ。
僕はつらくてベッドで寝ていたので挨拶できなかった。残念。
スペイン・チームは明日朝早く立つ予定。
僕らとグエンの飛行機はお昼頃の出発なので1台のクルマで空港まで送ってもらう予定。
結局、夕食も僕はバナナだけ。情けない。
写真は最初がパタンのダルバール広場で。
2枚目、3枚目はゴールデンテンプルで。
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Project "IP" - Kathmandu Day 4
2011年12月20日 旅行
10月29日。
久しぶりのカトマンドゥの朝。ゆっくり起きた。快晴。
9:00 朝食
今日はダドマさんの案内でみんなでタメル地区へ買い物に行く。
グエンとローゼンは別行動で先に出発。
僕らを含めた残りの人たちは2台のクルマに分乗してタメルへ。
ダドマさんが確かな店に案内してくれて、値段についても交渉の手助けをしてくれるので安心。
最初にみんながお目当てにしているパシュミナのお店へ。
ウチのカミさんは幸いにして(?)パシュミナのショールには興味がないようなのでみんなの買い物をみているだけ。
ただ、ウールのニットの耳当て付きのネパール定番の帽子も置いてあったので自分用とお土産用に5つ購入。
お値段は…ちょっと内緒。日本の感覚からすると驚くほど安い。
みんなの買い物に付き合ってSinging Bowl(仏具のおリンを大きくしたようなもの。たたくというよりはスティックでこすった時に出る音を愛でるものらしい。)やお香などの買い物にも付きあうけれど僕らは見るだけ。でも、いろんなものが置いてあっておもしろい。
スポーツ用品のお店で僕らはTHE NORTH FACEのダッフルバッグを2個購入。今回持ってきたものが破けてしまったのでその置き換え。 1個3000円足らずなのですごく安いけれど本物かどうかは??。たぶんネパール製のアウトレットなのだと思う。そう思いたい。
(^^;)
このあとウェスタン・スタイルのレストランでみんなとお食事。
僕もみんなと同じようにビーフステーキ(たぶんバッファロー肉)が食べたかったけれど体調がいまいちだったので自重してパスタにした。
カミさんはサンドイッチを注文。
料理が出てくるまで1時間くらい待ったかも。時間の流れ方がゆっくりしている。
午後もタメルをブラブラ。僕はシープスキンのショルダーバッグを購入。手持ちのネパール・ルピーが底をついたので5000円分を両替した。
5:00 お迎えの車でニーマさんのおウチに帰還。
今日の夕食は牛肉のミニハンバーグ、パスタ、マッシュルーム、カリフラワー、マッシュポテトのサラダ、キュウリなど盛りだくさん。
ジェッターやクマも加わってにぎやか。
フランスチームのほとんどは明日発つのでみんな揃ってのディナーは今日が最後。
食後にジェッターがクリーム色のカタ(幸運のためにかける細長い布)をツアーの参加者ひとりひとりの首にかけてくれる。
マークにもチップを渡した。
去年のモンブランの時には別れるときにバタバタして渡せなかったので僕らとしては今度は少し多めに。
写真はタメルのレストランで。
久しぶりのカトマンドゥの朝。ゆっくり起きた。快晴。
9:00 朝食
今日はダドマさんの案内でみんなでタメル地区へ買い物に行く。
グエンとローゼンは別行動で先に出発。
僕らを含めた残りの人たちは2台のクルマに分乗してタメルへ。
ダドマさんが確かな店に案内してくれて、値段についても交渉の手助けをしてくれるので安心。
最初にみんながお目当てにしているパシュミナのお店へ。
ウチのカミさんは幸いにして(?)パシュミナのショールには興味がないようなのでみんなの買い物をみているだけ。
ただ、ウールのニットの耳当て付きのネパール定番の帽子も置いてあったので自分用とお土産用に5つ購入。
お値段は…ちょっと内緒。日本の感覚からすると驚くほど安い。
みんなの買い物に付き合ってSinging Bowl(仏具のおリンを大きくしたようなもの。たたくというよりはスティックでこすった時に出る音を愛でるものらしい。)やお香などの買い物にも付きあうけれど僕らは見るだけ。でも、いろんなものが置いてあっておもしろい。
スポーツ用品のお店で僕らはTHE NORTH FACEのダッフルバッグを2個購入。今回持ってきたものが破けてしまったのでその置き換え。 1個3000円足らずなのですごく安いけれど本物かどうかは??。たぶんネパール製のアウトレットなのだと思う。そう思いたい。
(^^;)
このあとウェスタン・スタイルのレストランでみんなとお食事。
僕もみんなと同じようにビーフステーキ(たぶんバッファロー肉)が食べたかったけれど体調がいまいちだったので自重してパスタにした。
カミさんはサンドイッチを注文。
料理が出てくるまで1時間くらい待ったかも。時間の流れ方がゆっくりしている。
午後もタメルをブラブラ。僕はシープスキンのショルダーバッグを購入。手持ちのネパール・ルピーが底をついたので5000円分を両替した。
5:00 お迎えの車でニーマさんのおウチに帰還。
今日の夕食は牛肉のミニハンバーグ、パスタ、マッシュルーム、カリフラワー、マッシュポテトのサラダ、キュウリなど盛りだくさん。
ジェッターやクマも加わってにぎやか。
フランスチームのほとんどは明日発つのでみんな揃ってのディナーは今日が最後。
食後にジェッターがクリーム色のカタ(幸運のためにかける細長い布)をツアーの参加者ひとりひとりの首にかけてくれる。
マークにもチップを渡した。
去年のモンブランの時には別れるときにバタバタして渡せなかったので僕らとしては今度は少し多めに。
写真はタメルのレストランで。
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10月28日。
朝、5時起床。
今日は飛行機でカトマンドゥへ。
2番機に乗るということで、早く起きる。
トーストなどで簡単な朝食。
カトマンドゥからの飛行機がまだ到着しないということなのでこの後ホテルでしばらく待機。
飛行機が来るとの知らせであわてて出発。
早足でルクラの空港まで。
テンジンからチケットをもらう。
駆け足で搭乗口へ。
手荷物検査のゲートをくぐる。検査官のどこから来たとかいう質問にあわただしく答えて滑走路に出る。そこからまたせかされて駆け足で飛行機に向かう。
タラップをあわただしく登ってやっと着席。
全員乗り込むとほぼ同時に動き出す。
ここの滑走路は離陸時は坂を駆け下りる形になる。滑走路の端は崖で切り落ちている。うまくいけば滑走路からそのまま浮き上がるように離陸できるが、しばしば滑走路の端に達する前に浮き上がることができずに滑走路から飛び出してちょっと落ちてからようやく浮上するなんてことがあるらしい。
僕らの飛行機は幸いにして滑走路上から無事浮き上がった。
約40分くらいのフライトで7:45無事カトマンドゥ到着。
ニーマさんがマイクロバスで迎えに来ていてくれた。
僕らのダッフルバッグはかなりボロボロ。一部切れてしまったところがある。
どうも引きずられたりしてかなり手荒く扱われたようだ。
ニーマさんのウチに着いてから改めて朝食。
トーストにバター、オムレツなど何でもない普通の朝食なのだけれどトレッキング中はトーストはあまり食べられなかったのでとてもおいしく感じられる。
朝食の後、待望のシャワー。18日間のトレッキングの垢を落としてさっぱり。
ランチの後、ダドマさんの案内でネパール最大のストゥーパ(仏塔)、ボダナート(Boudhanath)に行く。歩いて40分くらい。
入場料を払ってチケットを買い、ストゥーパの周りを時計回りに歩く。
ストゥーパの周りは土産物屋さんがあって観光客も多い。
カミさんはヤクの毛を加工した品物を売っているお店を教えてもらってそこでヤクの毛と骨でできた毛ばたきが気に入ったようだ。例によってプライスタグは付いていないので価格交渉。あまり安くはならなかったけれど何とか交渉成立。カミさんはごきげんだった。
ストゥーパを見下ろすカフェでダドマさん、ジャニー、ローゼンと僕ら二人でお茶。紅茶にジンジャーのスティックが入れて飲むジンジャーティーがおいしかった。
4:15にストゥーパの入り口に全員集合。
喧噪の街中をニーマさんのウチに戻る。
今日の夕食のメインはバッファロー肉のモモ(ネパール風餃子)。
フライドライス、カリフラワーやキュウリ、ナクチーズ(ヤクチーズともいうがヤクはオスでそのメスがナクなので正確にはナクチーズ)など。
パパイヤやリンゴなどの果物もいっぱい。
ロクシー(シェルパの焼酎)も少しだけ飲んでみるけれど、僕は強い酒はだめなのでほんの少しだけ。透明の強い酒でまさに焼酎そのもの。
今日は僕らのツアー客以外にも韓国出身のジョゼフという若い大柄なお医者さんも泊まっている。彼もインターナショナルなグループでゴーキョ・ピーク、チョラパス、カラ・パタールをトレッキングしてきたらしい。
勤め先はオーストラリア、メルボルンの病院だとのこと。
僕は相変わらず咳が止まらないので体調はいいとは言えないけれど、この日は疲れもあってよく眠れた。
写真は最初がルクラでの離陸時。
2枚目はカトマンドゥへ向かう飛行機の中から。
3枚目はボダナートのストゥーパ。
朝、5時起床。
今日は飛行機でカトマンドゥへ。
2番機に乗るということで、早く起きる。
トーストなどで簡単な朝食。
カトマンドゥからの飛行機がまだ到着しないということなのでこの後ホテルでしばらく待機。
飛行機が来るとの知らせであわてて出発。
早足でルクラの空港まで。
テンジンからチケットをもらう。
駆け足で搭乗口へ。
手荷物検査のゲートをくぐる。検査官のどこから来たとかいう質問にあわただしく答えて滑走路に出る。そこからまたせかされて駆け足で飛行機に向かう。
タラップをあわただしく登ってやっと着席。
全員乗り込むとほぼ同時に動き出す。
ここの滑走路は離陸時は坂を駆け下りる形になる。滑走路の端は崖で切り落ちている。うまくいけば滑走路からそのまま浮き上がるように離陸できるが、しばしば滑走路の端に達する前に浮き上がることができずに滑走路から飛び出してちょっと落ちてからようやく浮上するなんてことがあるらしい。
僕らの飛行機は幸いにして滑走路上から無事浮き上がった。
約40分くらいのフライトで7:45無事カトマンドゥ到着。
ニーマさんがマイクロバスで迎えに来ていてくれた。
僕らのダッフルバッグはかなりボロボロ。一部切れてしまったところがある。
どうも引きずられたりしてかなり手荒く扱われたようだ。
ニーマさんのウチに着いてから改めて朝食。
トーストにバター、オムレツなど何でもない普通の朝食なのだけれどトレッキング中はトーストはあまり食べられなかったのでとてもおいしく感じられる。
朝食の後、待望のシャワー。18日間のトレッキングの垢を落としてさっぱり。
ランチの後、ダドマさんの案内でネパール最大のストゥーパ(仏塔)、ボダナート(Boudhanath)に行く。歩いて40分くらい。
入場料を払ってチケットを買い、ストゥーパの周りを時計回りに歩く。
ストゥーパの周りは土産物屋さんがあって観光客も多い。
カミさんはヤクの毛を加工した品物を売っているお店を教えてもらってそこでヤクの毛と骨でできた毛ばたきが気に入ったようだ。例によってプライスタグは付いていないので価格交渉。あまり安くはならなかったけれど何とか交渉成立。カミさんはごきげんだった。
ストゥーパを見下ろすカフェでダドマさん、ジャニー、ローゼンと僕ら二人でお茶。紅茶にジンジャーのスティックが入れて飲むジンジャーティーがおいしかった。
4:15にストゥーパの入り口に全員集合。
喧噪の街中をニーマさんのウチに戻る。
今日の夕食のメインはバッファロー肉のモモ(ネパール風餃子)。
フライドライス、カリフラワーやキュウリ、ナクチーズ(ヤクチーズともいうがヤクはオスでそのメスがナクなので正確にはナクチーズ)など。
パパイヤやリンゴなどの果物もいっぱい。
ロクシー(シェルパの焼酎)も少しだけ飲んでみるけれど、僕は強い酒はだめなのでほんの少しだけ。透明の強い酒でまさに焼酎そのもの。
今日は僕らのツアー客以外にも韓国出身のジョゼフという若い大柄なお医者さんも泊まっている。彼もインターナショナルなグループでゴーキョ・ピーク、チョラパス、カラ・パタールをトレッキングしてきたらしい。
勤め先はオーストラリア、メルボルンの病院だとのこと。
僕は相変わらず咳が止まらないので体調はいいとは言えないけれど、この日は疲れもあってよく眠れた。
写真は最初がルクラでの離陸時。
2枚目はカトマンドゥへ向かう飛行機の中から。
3枚目はボダナートのストゥーパ。
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Project "IP" - Trekking Day 18 Monjo - Lukla
2011年12月12日 旅行
10月27日、トレッキング18日目。
ついにトレッキング最後の日が来た。
長かった…と思う。
後半はやや体調に不安があったのでそう感じたのかもしれない。
6:30 モーニング・ティー
例によって(?)僕らはほぼ最後の方に出発してだらだら歩く。
カミさんはニットの手袋をどこかに置き忘れてきたようだ。
11:30にランチのためチェプルン(Chheplung)のロッジでストップ。
スペインチームとグエンはここは止まらないで通過したらしい。
ルクラで食事をと思ったのかもしれない。
ランチは揚げたチャパティー、ソーセージ、チーズ、カレー味のポテト、そして取れたてのキャベツ、青菜、ニンジンなどの温野菜。
野菜の好きなカミさんは何回もお代わりしていた。
13:00 チェプルンを出発。
ほどなくルクラへ到着。光のお祭りが行われていて街の中はとても賑やか。
メインストリートはダンスをしている人たちとその周りで見物している人で埋まっていて迂回しなければならなかった。
行きにランチのため寄ったParadise Lodgeで休憩。
ここでチップのためのお金をローゼンに渡す。最新のドル・ユーロのレートの情報を得たのでそれにしたがって僕らは一人当たり145USドル、つまり二人で290ドル払うことにした。
予定ではこのParadise Lodgeに泊まるはずだったのだが、オーバーブッキングのため予定を変更して、少し下のLukla Resortに泊まることになった。
今日はテントではなく、ベッドの上で眠れる。狭いけれどツインベッドルーム。
夕方からホテルの庭でツアー参加者みんなが提供した衣類、小物、食料などを現地スタッフにプレゼントするための抽選会が開かれた。
マークが提供された品々を空くじがないように現地スタッフの人数分に分けて番号を振って庭のシートの上に並べる。
そのあと、くじ引き。現地スタッフは番号が書かれた紙を箱の中から順番に引いていく。
僕らは日本製のチョコレート、バンダナ、バッテリーを提供した。
くじを引いたスタッフがその番号に相当する品物をもらうたびに笑い声と歓声が起きる。
その後で現地スタッフのひとりひとりにチップが手渡される。
配分は大体の標準が決まっている。
金額の多い順にサーダー、その次はサブリーダーとクック、次にサブガイド、キッチンボーイ、最後がポーター。
ポーターの日当は600ネパール・ルピー(1 ネパール・ルピーは約1円)と食事だけなのでチップは彼らにとって貴重な収入になる。今回はポーターには少し多めの配分をしてひとり5000ルピーということになった。
彼らの笑顔から十分に満足してもらえたことがうかがわれた。
彼ら無しでは僕らのトレッキングは成立しないわけで現地スタッフには本当に感謝である。喜んでもらえてよかった。
夕食はフライドチキン、ポテト、パスタ、ピザ、温野菜など。
デザートとしてクマが大きなケーキを持ってくる。
"See you again"と書いてある。おいしかった。感謝。
写真は最初がモンジョの朝。
2枚目はルクラに行く途中で見かけた牛を使った農耕風景。
3枚目はルクラの入り口で記念撮影。
ついにトレッキング最後の日が来た。
長かった…と思う。
後半はやや体調に不安があったのでそう感じたのかもしれない。
6:30 モーニング・ティー
例によって(?)僕らはほぼ最後の方に出発してだらだら歩く。
カミさんはニットの手袋をどこかに置き忘れてきたようだ。
11:30にランチのためチェプルン(Chheplung)のロッジでストップ。
スペインチームとグエンはここは止まらないで通過したらしい。
ルクラで食事をと思ったのかもしれない。
ランチは揚げたチャパティー、ソーセージ、チーズ、カレー味のポテト、そして取れたてのキャベツ、青菜、ニンジンなどの温野菜。
野菜の好きなカミさんは何回もお代わりしていた。
13:00 チェプルンを出発。
ほどなくルクラへ到着。光のお祭りが行われていて街の中はとても賑やか。
メインストリートはダンスをしている人たちとその周りで見物している人で埋まっていて迂回しなければならなかった。
行きにランチのため寄ったParadise Lodgeで休憩。
ここでチップのためのお金をローゼンに渡す。最新のドル・ユーロのレートの情報を得たのでそれにしたがって僕らは一人当たり145USドル、つまり二人で290ドル払うことにした。
予定ではこのParadise Lodgeに泊まるはずだったのだが、オーバーブッキングのため予定を変更して、少し下のLukla Resortに泊まることになった。
今日はテントではなく、ベッドの上で眠れる。狭いけれどツインベッドルーム。
夕方からホテルの庭でツアー参加者みんなが提供した衣類、小物、食料などを現地スタッフにプレゼントするための抽選会が開かれた。
マークが提供された品々を空くじがないように現地スタッフの人数分に分けて番号を振って庭のシートの上に並べる。
そのあと、くじ引き。現地スタッフは番号が書かれた紙を箱の中から順番に引いていく。
僕らは日本製のチョコレート、バンダナ、バッテリーを提供した。
くじを引いたスタッフがその番号に相当する品物をもらうたびに笑い声と歓声が起きる。
その後で現地スタッフのひとりひとりにチップが手渡される。
配分は大体の標準が決まっている。
金額の多い順にサーダー、その次はサブリーダーとクック、次にサブガイド、キッチンボーイ、最後がポーター。
ポーターの日当は600ネパール・ルピー(1 ネパール・ルピーは約1円)と食事だけなのでチップは彼らにとって貴重な収入になる。今回はポーターには少し多めの配分をしてひとり5000ルピーということになった。
彼らの笑顔から十分に満足してもらえたことがうかがわれた。
彼ら無しでは僕らのトレッキングは成立しないわけで現地スタッフには本当に感謝である。喜んでもらえてよかった。
夕食はフライドチキン、ポテト、パスタ、ピザ、温野菜など。
デザートとしてクマが大きなケーキを持ってくる。
"See you again"と書いてある。おいしかった。感謝。
写真は最初がモンジョの朝。
2枚目はルクラに行く途中で見かけた牛を使った農耕風景。
3枚目はルクラの入り口で記念撮影。
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Project "IP" - Trekking Day 17 Thame - Monjo
2011年12月11日 旅行
10月26日、トレッキング17日目。
長かったトレッキングも残すところ2日。
今日はナムチェを経由してモンジョ(Monjo 標高2835m)へ。
6:15 モーニング・ティー
6:30 Hot water
7:00 朝食
快晴。風なし。
だんだん咳がひどくなり、のども痛いので僕自身の体調はよいとは言えないけれど、今日からは道は下りが多いし、行程もハードではないので気は楽。
昨日歩いた道を通って途中からシャンボチェ方面と分かれてナムチェに向かう。
途中、珍しい色付けされたマニ・ストーンの脇を通ってナムチェを一望できる丘の上に出る。
坂を下ってナムチェへ。
坂の途中のゴンパを少し見学。
ナムチェの街のメインストリートを通って今日のランチのロッジに12:00前に到着。ランチの前にマークが薬屋さんに連れて行ってくれて咳止めとのどの薬を購入。効くといいのだけれど…。
ランチはフレンチフライやキャベツ、ニンジンなどの温野菜サラダ、イワシのトマトソース煮など。
ランチの後でカミさんとメインストリートをウィンド・ショッピング。
カミさんはヤクの置物やヤクの角が付いた毛皮付きの頭部を欲しそうにしていたが、何とか購入は思いとどまった。置物の毛は本物かどうかわからなかったし、角付きの頭部はちょっと高そう。値段だけ聞いてくれば良かった。
山の用品も多いけれどニセものが多いようだし、買う場合には交渉力が必要なので買い物は難しそう。
マークの話では衣料品はカトマンドゥの方が安いらしいので、ここでは何も買わなかった。
ナムチェは15:00に出発。
ジョルサーレを経てサガルマータ国立公園の入り口の検問所(?)を通ってモンジョのキャンプ地到着。17:00
キャンプ地隣の建屋でお茶とビスケットをいただきながらダッフルバッグが到着するのを待つ。
夕食はトマトソース、フレンチフライ、フライドエッグ、パスタなど。
スペインチームとグエン、ローゼンは隣接するロッジで食事をしたようだ。
僕らのクックの作る料理に飽きたのかもしれない。気持ちは分からなくもないが、一生懸命僕らのために作ってくれるクックやキッチンボーイに対して失礼だと思う。
食事の後、ガイドやクック、ポーターに渡すチップをどうするかについて話し合う。サーダーに一括して渡して分配はサーダーに任せるという方法もあるのだけれど、危険が伴うチョラパスなどでのポーターの努力に感謝して標準的な分配方法に対しポーターに少し多めにわたるようそれぞれに手渡すことに決まった。
僕ら二人以外はヨーロッパのひとたちだから当然持ち金はユーロ。僕らの手持ちはUSドルなのでドル、ユーロのレートを考えるとちょっとややこしい。
ローゼンは銀行に勤めているらしくてこういうのに慣れているので彼女が最後に銀行でネパール・ルピーに替えてそれぞれのスタッフの分に分けてくれるのだという。
ここでグエンが口を出してずいぶん高めの(ドルが多くなるような)レートを口にするが、僕はレートについてはマークから聞いているので一人140ドルつまり僕とカミさんで280ドルということで了解してもらった。
お金の問題は後でゴタゴタしたくないし、あいまいにするのはいやだったので、はっきり言わせてもらった。
これについては後からマークが僕らのテントに来た時にちょっと詫びていたけれど…
チップの金額自体は日本のツアーで渡す額よりもかなり多いのではないかと思う。
明日はついにトレッキング最終日。ルクラに戻る。
写真は最初がターメの朝。
2枚目はナムチェへ向かう途中のカラーのマニ・ストーン。
3枚目は丘の上から見下ろすナムチェの街。ナムチェは近い。
長かったトレッキングも残すところ2日。
今日はナムチェを経由してモンジョ(Monjo 標高2835m)へ。
6:15 モーニング・ティー
6:30 Hot water
7:00 朝食
快晴。風なし。
だんだん咳がひどくなり、のども痛いので僕自身の体調はよいとは言えないけれど、今日からは道は下りが多いし、行程もハードではないので気は楽。
昨日歩いた道を通って途中からシャンボチェ方面と分かれてナムチェに向かう。
途中、珍しい色付けされたマニ・ストーンの脇を通ってナムチェを一望できる丘の上に出る。
坂を下ってナムチェへ。
坂の途中のゴンパを少し見学。
ナムチェの街のメインストリートを通って今日のランチのロッジに12:00前に到着。ランチの前にマークが薬屋さんに連れて行ってくれて咳止めとのどの薬を購入。効くといいのだけれど…。
ランチはフレンチフライやキャベツ、ニンジンなどの温野菜サラダ、イワシのトマトソース煮など。
ランチの後でカミさんとメインストリートをウィンド・ショッピング。
カミさんはヤクの置物やヤクの角が付いた毛皮付きの頭部を欲しそうにしていたが、何とか購入は思いとどまった。置物の毛は本物かどうかわからなかったし、角付きの頭部はちょっと高そう。値段だけ聞いてくれば良かった。
山の用品も多いけれどニセものが多いようだし、買う場合には交渉力が必要なので買い物は難しそう。
マークの話では衣料品はカトマンドゥの方が安いらしいので、ここでは何も買わなかった。
ナムチェは15:00に出発。
ジョルサーレを経てサガルマータ国立公園の入り口の検問所(?)を通ってモンジョのキャンプ地到着。17:00
キャンプ地隣の建屋でお茶とビスケットをいただきながらダッフルバッグが到着するのを待つ。
夕食はトマトソース、フレンチフライ、フライドエッグ、パスタなど。
スペインチームとグエン、ローゼンは隣接するロッジで食事をしたようだ。
僕らのクックの作る料理に飽きたのかもしれない。気持ちは分からなくもないが、一生懸命僕らのために作ってくれるクックやキッチンボーイに対して失礼だと思う。
食事の後、ガイドやクック、ポーターに渡すチップをどうするかについて話し合う。サーダーに一括して渡して分配はサーダーに任せるという方法もあるのだけれど、危険が伴うチョラパスなどでのポーターの努力に感謝して標準的な分配方法に対しポーターに少し多めにわたるようそれぞれに手渡すことに決まった。
僕ら二人以外はヨーロッパのひとたちだから当然持ち金はユーロ。僕らの手持ちはUSドルなのでドル、ユーロのレートを考えるとちょっとややこしい。
ローゼンは銀行に勤めているらしくてこういうのに慣れているので彼女が最後に銀行でネパール・ルピーに替えてそれぞれのスタッフの分に分けてくれるのだという。
ここでグエンが口を出してずいぶん高めの(ドルが多くなるような)レートを口にするが、僕はレートについてはマークから聞いているので一人140ドルつまり僕とカミさんで280ドルということで了解してもらった。
お金の問題は後でゴタゴタしたくないし、あいまいにするのはいやだったので、はっきり言わせてもらった。
これについては後からマークが僕らのテントに来た時にちょっと詫びていたけれど…
チップの金額自体は日本のツアーで渡す額よりもかなり多いのではないかと思う。
明日はついにトレッキング最終日。ルクラに戻る。
写真は最初がターメの朝。
2枚目はナムチェへ向かう途中のカラーのマニ・ストーン。
3枚目は丘の上から見下ろすナムチェの街。ナムチェは近い。
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10月25日、トレッキング16日目。
シャンボチェの飛行場からターメへの続き。
左手にBhote Koshi 川の深い谷を見ながら進む。
小さな村をいくつか通ってターモ(Thamo)の村に入ってそこでランチ。
(ターメとターモ、村の名前が似ているのでちょっと紛らわしい。)
ランチの前に村の上の方で建築中のゴンパを見学。
サブガイドのキムが案内してくれた。
ここは尼寺。
古い建屋の中では10人くらいの尼僧が熱心に読経していた。
建築中のゴンパはかなり立派なもので内装はまだ完成していないが明かり取りの窓のある天井の装飾はかなり凝ったもの。
この小さな村にかなりの数の尼僧がいてりっぱなゴンパを建設中というのはいったいどこからそんなお金を捻出しているのか不思議な感じがする。
ジェッターに聞いたのだけれど明確な答えは返ってこなかった。
吊り橋を渡って急登の後だらだら登るとやがてターメ。
ターメの村に入る前に川の水の流れを動力とするで粉ひき小屋があったので少し中を見学。小屋の真ん中に大きな石臼があってぐるぐる回っている。
ちょっと感動。
ターメのキャンプ地には15:00に到着。ちょっと疲れた。
午後になると少し曇って気温もぐっと低くなる。
寒いので隣のロッジの食堂で休憩。
ここのにも丘の上に立派なゴンパがある。見学に行った人もいたようだが、僕たちは疲れたし寒いのでパス。
夕食は16:30。
シェルパシチュー、パスタ、ピザなど。デザートはチョコレートバー。
写真は最初がターモの村に向かう途中で。
2枚目はターモの村の建設中のゴンパの中、天井部分。
3枚目はターメに向かう途中の吊り橋。
シャンボチェの飛行場からターメへの続き。
左手にBhote Koshi 川の深い谷を見ながら進む。
小さな村をいくつか通ってターモ(Thamo)の村に入ってそこでランチ。
(ターメとターモ、村の名前が似ているのでちょっと紛らわしい。)
ランチの前に村の上の方で建築中のゴンパを見学。
サブガイドのキムが案内してくれた。
ここは尼寺。
古い建屋の中では10人くらいの尼僧が熱心に読経していた。
建築中のゴンパはかなり立派なもので内装はまだ完成していないが明かり取りの窓のある天井の装飾はかなり凝ったもの。
この小さな村にかなりの数の尼僧がいてりっぱなゴンパを建設中というのはいったいどこからそんなお金を捻出しているのか不思議な感じがする。
ジェッターに聞いたのだけれど明確な答えは返ってこなかった。
吊り橋を渡って急登の後だらだら登るとやがてターメ。
ターメの村に入る前に川の水の流れを動力とするで粉ひき小屋があったので少し中を見学。小屋の真ん中に大きな石臼があってぐるぐる回っている。
ちょっと感動。
ターメのキャンプ地には15:00に到着。ちょっと疲れた。
午後になると少し曇って気温もぐっと低くなる。
寒いので隣のロッジの食堂で休憩。
ここのにも丘の上に立派なゴンパがある。見学に行った人もいたようだが、僕たちは疲れたし寒いのでパス。
夕食は16:30。
シェルパシチュー、パスタ、ピザなど。デザートはチョコレートバー。
写真は最初がターモの村に向かう途中で。
2枚目はターモの村の建設中のゴンパの中、天井部分。
3枚目はターメに向かう途中の吊り橋。
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