Project "IP" - Kathmandu Day 2
カトマンドゥでの2日目、11月9日。

朝、フランス・チームが到着。
正確には今日着いたのはフランス人山岳ガイドのマークとフランス人4名とベルギー人1名。
これでツアーメンバー全員が揃った。

着いたばかりのフランス、ベルギーチームを残して、グエンとスペイン・チームと僕らはタメル地区へ買い物へ。
タメル地区は商店街。スポーツショップやお土産屋さんなどがひしめくところ。
ニーマさんのところから歩いて1時間弱。
僕たちのお目当ては地図、絵葉書、サンダルなど。
地図と絵葉書はなんなく入手。ただ、切手はダサインのお祭りの休み明けだからというわけのわからない理由で郵便局(?)に置いていない。
それにパシュミナのスカーフなどの客引きにあってちょっと苦労する。
お土産はトレッキングが終わってからといって何とか断る。

トレッキング中のテントで使うサンダルがあると便利かと思っていろいろ探したのだが…スポーツ用品店で何とかよさそうなものを見つけた。
たまたま運よくフランス・チームと一緒に買い物についてきたダドマさんがその場に居合わせて値切ってくれたので安く購入できた。
あとはお土産のお茶などを購入したくらい。

昼食はグエンとFire & Iceというピザ屋さんへ。
スペイン・チームは待ち合わせ場所に来なかった。
このピザ屋さんは薄い生地の本格的なイタリア・ピザで安くておいしかったが1枚が大きくて一人で食べるのはちょっと大変。
ところでこの国でトイレに行くのはちょっと気を使う。
まずトイレットペーパーは置いてないことが多いので女性は必ず持参する必要がある。
このピザ屋さんでトイレを借りた時には案内の人が鍵を渡してくれて、その鍵で南京錠を開けて入った。

帰りはニーマさんのところのクルマに迎えに来てもらった。
スペイン・チームは遅刻。
どうもプラスチック・ブーツを借りたり、ダウンのミトン手袋を買ったり買い物に時間がかかったようだ。

写真はタメル地区で。
Project "IP" - Kathmandu Day 1
Project "IP" - Kathmandu Day 1
今回のネパール旅行は10月7日の夜から11月1日までの26日間。
今まで経験した中では一番の長旅。
しかも大半はテント泊まりのトレッキングで高所では零下10度を下回る気温だったこともあり、僕とカミさんにとっては結構過酷でした。
少し時間がかかると思いますが、このblogに記録として残しておこうと思います。

今回僕らが利用したのはTHAI AIR。
行きは羽田。帰りは成田。経由地はバンコック。
バンコックでの待ち合わせ時間はかなり長いのですが、泊まらなくてもよいのがメリットになっています。
バンコックは、昔出張で行った時の空港とは異なり、素晴らしく近代的な新空港になっています。
ちょっとシャルル・ドゴールみたいなおしゃれな空港。
THAI AIRのお食事はJALに比べればかなりマシな感じがします。

カトマンドゥまではまあまあ順調。
空港でVISAをとるために並んで時間がかかりましたが、日本国内でとるより安いのとわざわざ大使館まで行くことを考えればガマンガマン。
空港にはニーマさんが迎えに来てくださっていました。
カトマンドゥではニーマさんの民宿(?)にお世話になるのです。

早速、ニーマさんの車でお宿に向かったのですが、街の活気がすごい。
15年くらい前のバンコックみたいな感じもしましたが、ちょっと違うかも…。
お宿ではニーマさんの娘さんのダドマさんが迎えてくれました。
彼女はUSに留学していたので英語はペラペラ。
ミルクティーとビスケットで一息。

お部屋はダブルベッドにエクストラベッドが付いた大きなお部屋。
バスとトイレは共同。バスタブはあるのですがお湯が潤沢に供給できるわけではないので実質的にはシャワーのみ。
シャワーは室内のガス湯沸かし器でお湯を供給するようになってます。
ガスは浴室内に置いてあるプロパンのガスボンベから供給されるようになっている。
トイレは水洗なのですが、トイレットペーパーを流すことができないため、紙は
専用のごみ箱に捨てるようになっている。最近の日本の山小屋みたい。

僕らのツアーメンバーのうち既に昨日1名が到着しているとのこと。
後でわかったのだが、その彼は去年モンブランで一緒だったグエン。
彼はフランス人。
そして本日さらにスペインから4名到着。
スペインチームは若くて元気。パトリシアとホルヘ、それにエレナとエドワルドの2組の夫婦。パトリシアとエレナは姉妹。

今日お泊りのメンバーがみんな揃ったところでダドマの息子のリトル・ニーマのガイドでモンキー・テンプルに行くことになった。
彼は日本式に言えば中学2年くらい。
英語がうまい。
彼の案内なしでは大きな道路も渡ることができない。
信号はないし、クルマがビュンビュン行きかう片側2車線の広い道路を僕らだけで渡るなんてとても無理。

モンキー・テンプルはネパール最大のヒンドゥー教のお寺、パシュパティナートのこと。
サルが多くいるのでそういう名前で呼ばれているらしい。
ひとり500ルピーを払って中に入る。
川沿いにある火葬場には思わず息をのんだ。まだ煙が上がっている。
ちょっとカメラを向けるのもはばかられた。
輪廻転生を信じるヒンドゥー教では墓を作らないですべて川に流してしまうらしい。

街の中はキレイとはいえない。ほこりっぽい。
でも、その活気はスゴイ。ちょっと圧倒される。

写真は1枚目がバンコック空港で。
2枚目はモンキーテンプルの火葬場。川の両岸の石の台座の上で火葬が行われる。



Project "IP" - Prolog

2011年11月2日 旅行
Project "IP" - Prolog
昨日、11月1日(火)、ネパールから帰国しました。

想像以上に過酷な旅でした。
僕は最後にカトマンドゥで体調を崩してしまったので、帰りはヘロヘロ。
カミさんも気分がすぐれないようで二人して敗残兵のようなさえない姿での帰国。

ほぼ予定通りの行程をこなしたのですが、残念ながらIsland Peakの頂上は踏めませんでした。
最高到達点は5810m。
ツアー客の中ではカミさんと僕を含む計9名がそこまで達したのですが、2名のお客さんの不調(?)のためそれぞれ山岳ガイド、クライミング・シェルパが付き添って降りたことやトップのクライミング・シェルパの体調不良など不運も重なって、登頂を断念しました。

詳細はまた別途。

疲れました。しばらく休んで体力の回復に努めたいと思ってます。

写真はトレッキング前のカトマンドゥ市内で。
このときはまだ元気。
北アルプス裏銀座縦走 - Part 3
北アルプス裏銀座縦走 - Part 3
北アルプス裏銀座縦走 - Part 3
8月25日、朝から雨。でも土砂降りではない。ガスで視界はきかない。

例によって自炊でスープ、フランスパン、チーズ、バター、お茶などの簡単な朝食。ヨーロッパ・アルプスの山小屋のコンチネンタル・ブレックファストとほぼ同じ。この方法がすっかり板についた。

6:35 野口五郎小屋出発。元気な若いパーティはすでに先に出発している。

尾根筋の道だけれど、岩ゴロゴロのところもある。
何人かの烏帽子小屋からの登山者とすれ違う。
途中広い台地上の場所で道に迷いそうになるが、何とか通過。
雨は強くはないけれど視界がきかないので道に迷わないように慎重になる。

三ツ岳(どこが山頂かよくわからなかった)からかなり下りが長かった。
やがて傾斜が緩くなりキャンプ場を通過して烏帽子小屋到着。9:00 

このまま高瀬ダムに下ることも考えたが、烏帽子小屋に入った途端土砂降りの雨。この雨だと下りにも時間がかかるだろうし、びしょ濡れになったらどこかで温泉にでも入って着替えないと電車に乗れる状態にならないだろうし、そんなこんなで時間が遅くなったら今日中に帰宅できるか…などと考えてやはり計画通り烏帽子小屋に泊めてもらうことにした。

濡れた衣服を乾燥室に入れてちょっと一息入れようとしたら、雨が上がって少し視界が開けた。
ニセ烏帽子岳(公式には前烏帽子岳というみたいだけれど小屋のご主人もこう呼んでいた。)が見える。
このチャンスを逃す手はないということであわててゴアテックスの上下とゲーターを付けて烏帽子岳に向かう。ニセ烏帽子まで上がると烏帽子岳がよく見える。
カッコいい山だ。ここまで来てよかった。
烏帽子に近づいたところでまた雨。
烏帽子の最後の登りはクサリを頼りのスリリングな岩登り。
クサリも岩も濡れているので滑りやすくてちょっと肝を冷やしたけれど何とか登頂。
残念ながらここではガスって眺望はいまいち。
そそくさと下る。下りの岩場はさらに怖かった。

烏帽子までの往復は1時間半くらいだったか。
小屋に着いたらちょうどお昼時になったのでここで僕はカレーライスを注文して昼食。小食のカミさんは例によってフランスパン。
外は時々土砂降り。僕たちはまあまあいい時に烏帽子の往復ができたようだ。


8月26日、小雨。

いつものように朝は自炊。
ゴアテックスの上下、ゲーターを着けて完全装備。
6:20 烏帽子小屋出発。
途中学生さんの大パーティとすれ違う。
かなり上の方でのすれ違いだったのでその速さにビックリ。
後でわかったのだけれど高瀬ダムのトンネルの出口にあるキャンプ場でテン泊したみたい。
通常、ダムのゲートが開くのは7:00くらいなのでそれにしてはえらく速いなと思ったのです。
その後、年配の女性2人連れとすれ違う。こちらは朝、七倉山荘を出てきたとのこと。足取りはしっかりしている。健脚みたいだ。

8:30 登山口到着。雨はほぼあがった。コースタイムは3時間40分になっているのでずいぶん早い。
ここのコースタイムはずいぶん甘めに設定されているようだ。
これなら昨日下っても電車の心配はいらなかったかも。
でも、上で泊まったおかげで烏帽子にも登れたので良しとしましょう。
湖畔で土木作業をしているおじさんとちょっとおしゃべり。
ここで先ほどの大パーティがテント泊まりだったことを知る。

つり橋を渡り、トンネルを通って高瀬ダムに到着。9:00 
ラッキーなことにタクシーが1台待っている。
体もあんまり濡れていなかったので、このまま信濃大町の駅まで直行してもらう。後からズボンが中からの汗でかなり湿っていることがわかったのですが…

6日間のうち、5日雨だった記録的な雨の山行でしたが何とか予定通り歩けたこと、また、初めて通った鷲羽岳から野口五郎までのコースでは視界が良かったこと、烏帽子岳のきれいな姿を目にできたことでまあまあ良かったと思ってます。
山の神様に感謝です。

 
写真は1枚目が水晶岳からの雲の平。
2枚目は野口五郎岳頂上で。大天井岳とその奥の常念岳をバックに。
3枚目はニセ烏帽子からの烏帽子岳。
北アルプス裏銀座縦走 - Part 2
北アルプス裏銀座縦走 - Part 2
北アルプス裏銀座縦走 - Part 2
8月24日、今日はこの山行で初めて雨が降っていない朝。

快晴というわけではないけれど視界がきくのがうれしい。
いつものように朝は自炊で簡単な朝食。

6:25 三俣山荘出発。
7:30 鷲羽岳山頂。鷲羽池が美しい。

槍ヶ岳、表銀座の山々、笠ヶ岳、黒部五郎岳、これから行く水晶岳や野口五郎岳など360度のパノラマ。
でも、風が強くて頂上には長く立ってられない。
風をよけて岩陰で小休止。

8:00 鷲羽岳出発。
10:15 水晶小屋着。

水晶小屋にザックをデポして水晶岳往復。
稜線上は風が強い。
水晶岳頂上も最高の景色、雲の平、黒部湖などなど。
でも風が強くて寒い。
水晶小屋に戻ってコーヒーをもらってフランスパン、チーズ、バター、一口ケーキなどで簡単な昼食。
水晶小屋から双眼鏡で表銀座の入り口、燕山荘が見える。
場所がわかると肉眼でも何とか認識できる。
燕山荘のでかさにビックリ。

12:00 水晶小屋出発。
水晶小屋から見える野口五郎岳は近くに見えるのでそんなに時間かからないで行けそうな感じがするのだけれど、以外に懐が深くて距離があるし、尾根歩きのハイキングコースかと思いきや、途中岩ゴロゴロのところがあってやはり時間がかかる。
水晶小屋やその手前で野口五郎方面からの多くの登山者とすれ違ったが、水晶小屋以降はすれ違う登山者なし。やはり裏銀座は表銀座に比べて人が少なく静かな感じ。
野口五郎岳の広い頂上も僕らが独り占め。頂上の向こう側の直下に青い屋根の野口五郎小屋が見える。

15:00 野口五郎小屋着。
僕らがこの日初めての泊り客。
このあと高瀬ダムから来た男性4人女性2人の若いグループが到着。
彼らはテント持ちだけれどここではテント場が廃止されたので小屋どまり。
テント持ちの荷物で朝高瀬ダムを出てここまで来たのだからかなりの健脚。
今晩の泊り客はこの計8人のみ。

写真は1枚目が鷲羽池。バックに槍が見える。
2枚目は鷲羽岳からの黒部五郎岳。
3枚目は水晶岳からの笠ヶ岳。
北アルプス裏銀座縦走 - Part 1
北アルプス裏銀座縦走 - Part 1

8月21日、朝、新宿発夜行のさわやか信州号で上高地到着。雨。

お湯を沸かしスープとお茶を作ってフランスパンとチーズ、バター、りんごの簡単な朝食。
ゴアテックスの上下の雨具、セミロングのゲーターを着けて7時ごろゆっくり出発。
雨は強くはないけれど、暑い。
フードをとるとしっかり濡れるのでやはりフードはかぶらざるを得ない。

順調に明神、徳沢、横尾を通過。
槍沢ロッヂにお昼前に到着。
やけに人が多い。同じころ訪れた一昨年とはえらい違い。
ほとんど満員らしい。
どうも天気が悪いためにツアー客が槍に登れなくてここで足止めになっているからのようだ。
1階ロビ-のテーブルはツアー客に占領されているので脇のベンチで昼食。
僕は山菜うどんをいただく。カミさんはフランスパンとバター。

ここはお風呂があるので、着替えてさっぱりする。
女性用の風呂が混んでいてカミさんは時間がかかる。
夕食はチキン。僕はチキンが苦手なのでカミさんにあげる。ちょっとがっかり。

天気予報では明日も雨。ただあさっては少しよくなりそうなので計画通りに進むことにする。


8月22日、朝から雨。

僕たちは朝は自炊。昨日と同じようにお湯を沸かしスープとお茶を作ってフランスパンとチーズ、バター、りんごの簡単な朝食。
お茶は800mlのテルモスに入れて残りを飲む。
ここの自炊場は狭いけれど、自炊する人はほとんどいないので場所に困ることはなかった。
最近は小屋で自炊する人が少なくなっているように思う。
横尾から上がってきたツアーの団体が槍沢ロッヂでちょっと休憩して先に出発する。
昨日槍に登れなくて停滞していたツアーの団体は結局悪天候のため登頂を断念して、上高地に下りるようだ。

6:38 槍沢ロッヂ出発。
僕らのペースはゆっくり。でも、あまり止まらない。
1時間に1回、5分くらいのドリンク休憩。このときにアーモンドチョコや一口ケーキなどを口に入れる。
さすがに団体ツアーよりは早いので途中でいくつか抜かす。
若い男性の二人連れには抜かれるけれど彼らが休憩しているときに抜き返すので結果的にはほぼ同じペース。
若いお母さんと小学校低学年の女の子のペアにはすごい勢いで抜かれたけれど結局どこかで休んだのか僕らのほうがだいぶ早く槍ヶ岳山荘に到着した。
途中、道を間違えて変な沢を登りそうになったり、殺生ヒュッテを経由したりしてずいぶん時間をロスしたけれど、槍ヶ岳山荘到着は10:35
この天気で途中の時間ロスを含んで約4時間というのは僕らとしてはまあまあ。

ゴアテックスのおかげで雨には濡れなかったけれど、汗で下着がかなり濡れてしまったので小屋で全とっかえ。
乾燥室がありがたい。
お昼はキッチン槍でラーメン。カミさんはコーヒーをもらってやっぱりフランスパンとバター。僕もフランスパンを少し。

槍の穂先はまったく見えないので穂先に登ることはあきらめて沈殿。


8月23日、今日も朝から雨。

いつものように朝は自炊。
自炊場で一緒の学生さんのグループも僕らと同様、西鎌尾根を双六小屋へ下るらしい。
彼らはそこから新穂高温泉に下るとのこと。
さすがに若いだけあって健脚。

6:23 槍ヶ岳山荘出発。
今日は雨に加えて風が強い。飛騨側から吹いている。
西鎌尾根は僕らにとって初めて。
この雨と風で滑りやすい濡れた岩場を下りるのかと思うとちょっと不安。
雨はひょうになっているらしくフードにたたきつける音がすごい。
西鎌尾根方面に行くのは僕らだけ。
学生さんたちはすでに発った後のようだ。

視界がないので高度感はない。途中いくつかクサリ場を通過したが、あまり怖いところはない。
ただ、視界が利かないし、まわりには誰もいないので道を間違えないように要注意。
鎌尾根というだけあってかなりアップダウンが多い。
半分くらい下りたところの硫黄の匂いが漂う台地で休憩していた単独行の若い男性に追いついた。
道が間違っていないことにほっとした。彼も同じ思いだったみたいだ。

下から登ってくる登山者には結局一人もすれ違わなかった。
たぶんこの日、西鎌尾根を登った登山者はゼロだったのではないかと思う。
樅沢岳の下りで先行した先ほどの単独行登山者が視界に入る。
霧の間から下のほうに双六小屋の赤い屋根が突然現れたのにはびっくりした。
これで一安心。
9:58 双六小屋着。
大休止。僕はラーメンをいただいて早いお昼。
例によってカミさんはコーヒーをもらってフランスパン。
雨風がしのげる場所で食事ができるのはありがたい。
11:16 双六小屋出発。
巻道を通るか中道をとって三俣蓮華岳経由で行くかちょっと迷ったけれど風が嫌だったので結局巻道を選ぶ。
巻道も結構アップダウンがあるし、道が川のようになっていて沢下りみたいなところがあって結構時間がかかった。
びしょ濡れになって13:40三俣山荘到着。
カミさんのザックカバーの内側には雨水がたっぷりたまっていた。
よけいな荷物を運んでいたみたい。

ここでも乾燥室のお世話になった。
三俣山荘で評判のケーキセットを期待していたのだけれど、この悪天候でヘリの輸送が滞っていて売り切れ。残念。
しょうがないのでコーヒーをいただいて手持ちの非常食でおやつ。

写真は三俣山荘の前で24日の出発前に撮ったもの。


北アルプス裏銀座縦走 - Prolog
北アルプス裏銀座縦走 - Prolog
北アルプス裏銀座縦走 - Prolog
諸事情によりblogの更新がままならない状況にありますが、8月後半の北アルプス裏銀座縦走についての記録を残しておこうと思います。

計画は以下の通り。アルパインツアー社、山渓の合同企画トレッキングツアーを参考にさせていただいた計画です。

8/21 朝 上高地に入山 槍沢ロッヂ泊り
8/22 槍ヶ岳登頂 槍ヶ岳山荘泊り
8/23 双六小屋、双六岳、三俣蓮華岳経由 三俣山荘泊り
8/24 鷲羽岳、水晶岳往復、水晶小屋経由 野口五郎小屋泊り
8/25 烏帽子岳往復、烏帽子小屋泊り
8/26 高瀬ダムへ下山

山に詳しいかたならばお分かりになると思いますが、かなり緩い日程で、健脚の方であれば少なくとも2日は短縮できると思います。
Project "IP"のトレーニングを兼ねた山行ですが、脚周りの強化というよりは有酸素運動中心で体脂肪を少しでも落せればくらいの目的ですし、無理してケガをしても困りますのでいつもと同様のお気楽登山となりました。

ただ、今回は一昨年、昨年と続いた好天の運が尽きたせいか6日のうち視界がきいたのは24日の1日のみ。ほとんどが雨だったので環境的にはちょっと厳しい山行となりました。
結局、視界がきかないので槍の穂先への登山はパス。双六岳、三俣蓮華岳も巻道を通ったので登頂していません。
でも槍ヶ岳へは一昨年登っていますし、双六岳、三俣蓮華岳も昨年登っていますので、それほど残念な思いはありません。
今回は水晶岳、野口五郎岳、烏帽子岳に登れたのが収穫だったと思います。

雨の日はほとんど写真が撮れなかったので今回の写真のほとんどは24日に撮ったものです。

写真は最初が雨の横尾で。このときは小降りになってます。
2枚目、3枚目は三俣山荘からそれぞれ鷲羽岳、槍ヶ岳。

Project "IP" Preparation Part 2
海外の山岳ツアーに関して日本のツアー会社とマークの会社のツアーの差について少し触れておこうと思います。

まずその費用について。
モンブランの時もそうなのですが、日本の山岳ツアー会社が主催するこの手のツアーはすごく高いのです。
Island Peakのツアーだと70万前後かかるみたい。
二人で参加する僕らにはとても無理。
それに比べるとマークの会社のツアーはすごく割安。
カトマンズまでの飛行機代は個人で手配することになるので、まだ金額が決定してませんが、彼のツアーだと飛行機代も含めた概算で日本のツアーの半額とは行きませんが、それに近い費用で済みそうなのです。
これは最近の円高もかなり効いているのですが。

プランの内容もかなり異なります。
日本のツアー会社のプランだとIsland Peakまっしぐらで飛行場のあるLuklaから最短距離のルートをたどってIsland Peakのベースキャンプに行って、そこで高度順応とさらにその上にハイキャンプの設営するためもあって4日ほどかけるというのが一般的なようです。
マークのところのツアーはGokyo Peak、Kala Pattar(Everest展望台)などの5000mを越えるピークを経由しながらいわゆるエベレスト街道を大回りしながらIsland Peakにたどり着くようになってます。
Island Peakに達するまでに高度順応できているという前提からでしょう、Island Peakでの予備日は1日だけでベースキャンプから直接Island Peak登頂をめざすアルパイン・スタイル。
日本隊の方が歩くトータルの距離としてはかなり短そうですし、登頂を目指す当日についても高度差にして500m程上から出発するのでかなり楽のように思えます。
でも、高度順応という点ではIsland Peakに達するまでに5000m以上のところを含む高地のアップダウンがあるマークの会社の方が有利かもしれません。
ツアーのバラエティ、楽しさという点ではストイックにIsland Peak登頂を目指す日本隊よりもエベレスト街道のトレッキングを楽しみながら最後にIsland Peakもという感じのフランス隊の方がちょっとよさそう。
お国柄の違いということもあるかもしれません。
ちょっと驚きなのが、マークのツアーのIsland Peak登頂成功率。
2006年から始めたこのプログラムのIsland Peak登頂率は何と100%。
これは僕らにとってはちょっとプレッシャーではありますが…
彼の会社のプログラムがうまくできているのはモンブランでも感じたことです。
特に高度順応についてはよく考えられているみたい。
今回もそれをひたすら信じることにします。

果たしてどうなりますことやら。
Project "IP"  Preparation Part 1
Project "IP"  Preparation Part 1
お正月にちょっとだけ触れた今年実行予定のプロジェクトのひとつ、Project "IP"について少し書いておこうと思います。

発端は昨年モンブランに登った後、僕らの山岳ガイドだったマークからのメール。
彼は山岳ガイド会社の代表でもあるのですが、2011年の10月にネパールのIsland Peakという6000m峰への登頂を含むネパールのトレッキング・ツアーで彼自身がガイドとして行くので参加しないかとのお誘い。
すごく魅力的なツアー。
問題は24日という長期にわたる日程なので、まだ現役の僕としてはとても休暇が取れそうもないということ。
それで、日本ではフランスと違い夏休みや正月以外の長期休暇は一般的じゃないのでたぶん無理という返事をその時はしておいたのですが…

いろいろカミさんとも話すうち、こういうことって先延ばしすると僕らの年齢を考えるとだんだん体力的には厳しくなるし、僕らの体力などについてもよく知っている気心の知れた彼がガイドする機会はあまりないかもしれないし、などと話しているうちに思い切ってちょっと無理をして休暇をとることを考えようかということになってしまいました。
というわけで Project "IP" のIPは Island Peakのことなのです。
日本の冬山も経験してない僕たちが6000m峰にいけるのかという疑問はありますが、技術的には昨年参加したのモンブラン登頂を含むトレーニング・コースを経験していればOKのようです。
まあ、モンブランでガイドしてくれたマークが誘ってるんだから、一応技術的、体力的基準にはなんとか達しているとみなされているんでしょう。
そう思うことにしています。

既に決まっている参加メンバーは僕ら二人の他に確かフランス人5人とスペイン人1人でインターナショナル。
多数決で公用語がフランス語になってしまいそうなのが、ちょっと厳しいですが、モンブランの時も英語をしゃべれるフランス人が多かったのでコミュニケーションは何とかなるでしょう。
違った文化のチームに加わるわけですが、山が好きという共通項があるのでそれを手がかりに面白い話が聞けるのを楽しみにしています。

ただ、問題もあります。
そのひとつがは雪山用の装備。
いままでアルプスではレンタルで済ませてきた雪山用装備を今回は自前で揃えなければならないこと。
これが思っていた以上の負担になることが後からわかりました。
この話はまたいずれ。
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - 番外編
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - 番外編
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - 番外編
笠ヶ岳から帰ってきてからちょっと経った8月30日、三俣蓮華岳東面標高1700m付近の湯俣川の河原で61歳の女性が16日ぶりに救助されたとの報道があった。
なんと、僕らが鷲羽岳から双六小屋に戻る時に使った巻道で道に迷って降りてしまったらしい。
たぶん発見されたのは巻道からは700、800mくらい下に降りたところなのではないかと思う。
そういえば僕らが双六小屋に着いた時に岐阜県警のヘリコプターが飛び回っていた。
小屋のスタッフの方の話では捜索依頼が出ているとのことだったのでこの女性を探していたのかもしれない。
その後も、毎日のように岐阜県警のヘリを見たので、ずっと探し続けていたのかも。

女性は新穂高温泉から笠ヶ岳に登って笠ヶ岳山荘に泊ったあと、双六小屋を通過して三俣山荘に向かう途中で遭難したらしい。
新穂高から直接笠ヶ岳に登るくらいだから健脚だったのだと思う。
道迷いの時の状況はわからないけれど、天候があまりよくなかったり、午後の行動で多少焦りがあったりしたのかもしれない。
道に迷ったときに下ってしまったというのは判断ミスで、やはり元来た道を戻るのが正解だったのだろう。
それができなかったのはやはり焦りからか?
お歳からしたら若い人みたいに仕事の関係でスケジュールに制限があるというわけではないように思うのだけれど…。
山へ行くとかなり遅い時間になって小屋に着く人が結構いるけれど、ちょっとがんばりすぎなのではないかと思う。
目的地へは午後3時くらいまでに到着するというのが山の常識なのだが…。
この女性の場合も、ちょっぴり無理をしすぎたことも原因のひとつなのではないかと思ってしまう。
午前中に双六小屋に着いたとしてもそこでその日の行程を終えてもいいと思うし、双六岳までの往復を楽しむこともできたのに。
単独行は危険が大きいことも考慮しておくべきだった。
何事も余裕が必要。
これは僕ら自身の山歩きでもいえること。
肝に銘じておかねば…。

写真は最初が双六岳山頂から見た鷲羽岳。
2枚目は鷲羽岳山頂から見た水晶岳。
3枚目は笠ヶ岳山荘からの夜明け前の槍ヶ岳。
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - Part 2
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - Part 2
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - Part 2
昨年の槍ヶ岳と同様、今回も天気に恵まれた。
25日はガスっていて笠ヶ岳へのアプローチや山頂での眺望がよくなかったが、行動中は雨には降られなかった。
笠ヶ岳山荘での夕食時に夕立が来たくらい。
各山荘での朝も風がないので、ゴアテックス雨具を着けることもなかった。
最終日の26日は新穂高温泉から松本までの乗り合いタクシーの中でかなり激しい通り雨(?)にあったが、濡れずにすんだ。
まったく、幸運だった。

やはり笠ヶ岳は立派な山だった。三俣蓮華岳や最終日の尾根線上や杓子平からの姿は大迫力。
三俣蓮華岳は不思議な山。双六岳方面から見ると頂上付近はなだらかだし、なんか冴えないお姿。
でも鷲羽岳や三俣山荘から見ると雪渓もアクセントになっていてなかなかカッコいい。
頂上からは雲の平や薬師岳の眺めが素敵だし、遠く剣岳まで拝める眺望のよさ。
三俣山荘から見上げる鷲羽岳も迫力十分で、その登山道もいかにもタフそう。
蝶槍から見る常念岳の登山道に似ている感じ。
鷲羽の頂上から見る水晶岳はなかなか立派。

行程中の所要時間は苦手の下りを含めてほぼコースタイム。
でも例外は三俣山荘から鷲羽岳までの時間で、軽いザックだったのにもかかわらず登りに約1時間10分+、下りも1時間+くらいを要した。
僕らの持っているガイドブックではコースタイム登り1時間、下り40分になっている。
僕らのペースが遅すぎたということもあるかもしれないけれど、このコースタイムはちょっと厳しいかも。
でも、まあこんなスローペースのおかげで苦しい思いをすることもなく、筋肉痛になることもなく、山を楽しむことができた。
無事降りてこられたことを山の神様に感謝。
でも、実は最後の日にどうもカゼをひいてしまった。
朝起きたらノドが痛かった。症状はだんだん悪化してこの日記を書いている今でも鼻水と咳が残っていてやや不調。結局、ほとんど熱は出なかったのだけれど不快な症状が長引いている。
それと、笠新道の下りでバランスを崩して上体を右にひねった時に右肋骨付近を痛めてしまった。
これも幸い骨には異常はなかったがまだ、多少うずく時がある。
情けない。歳のせいか回復に時間がかかるみたい。

写真は最初が鷲羽岳からの三俣蓮華岳。
2枚目は笠ヶ岳山荘でのご来光。
3枚目は笠新道、抜戸岳南稜からの笠ヶ岳。
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - Part 1 
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - Part 1 
夏の思い出 @ 双六岳/三俣蓮華岳/鷲羽岳/笠ヶ岳 - Part 1 
やり残した夏休みの宿題を仕上げる感じで、8月の後半に北アルプスに行ったことを記録しておこうと思う。

今年の夏休みの山行計画の立案はカミさんに依頼していたのだが、例によっていつまで待っても一向に具体化する気配がない。
しょうがないので、今回も結局僕が大筋の計画を立てることになった。ヤレヤレ。

昨年、槍から大天井を通って燕まで縦走した時に見えた笠ヶ岳の雄姿に魅せられたので登ってみたいと思ったのが今回の計画の発端。
それに上高地からは何度も登ったけれど飛騨側の新穂高温泉からは入ったことがなかったので一度は行ってみたかった。

最初は新穂高温泉まで新宿からの夜行直通バスを利用して朝到着し、最初に笠ヶ岳へとも思ったのだが、どうもその直通バスは現在は運行していないみたい。
グーグル検索で引っ掛かったその夜行バスのページは何年か前の残骸だったようだ。
自宅を朝出発すると松本までの特急あずさとバスを乗り継いで新穂高温泉には午後に着くのがやっと。
笠ヶ岳への最短直登コースの笠新道の登りもかなり時間がかかってキツそうなので、一旦双六小屋まで上ってから尾根筋を歩いて笠ヶ岳まで行くことを考えた。
というわけで僕らが採ったコースは以下のとおり。

8月22日
松本経由 新穂高温泉 -> わさび平  わさび平小屋泊

8月23日
わさび平 -> 鏡平 -> 双六小屋 -> 双六岳 -> 双六小屋 双六小屋泊

8月24日
双六小屋 -> 中道経由 三俣蓮華岳 -> 三俣山荘 -> 鷲羽岳 -> 三俣山荘 -> 巻道経由 双六小屋 双六小屋泊

8月25日
双六小屋 -> 弓折岳 -> 笠ヶ岳山荘 -> 笠ヶ岳 -> 笠ヶ岳山荘 笠ヶ岳山荘泊

8月26日
笠ヶ岳山荘 -> 笠新道分岐 -> 杓子平 -> 新穂高温泉 -> 松本経由 帰宅

24日の行程はお天気次第では省略することも考えていた。
それと最初は三俣蓮華岳までの往復だけと思っていたのだが、わさび平で同宿の登山者から鷲羽岳まで足を伸ばすことを薦められたので、計画変更を検討。
鷲羽岳は双六小屋からの姿が立派なので、小屋に着いたらやはり行ってみたくなった。
小屋のスタッフの方のアドバイスももらって鷲羽岳を目指すことにした。
前の日に双六岳まで登ったので行きは中道を通り双六岳を巻いて通過、帰りは三俣蓮華岳も巻く最短コースの巻道を通って双六小屋に戻ったので、余りしんどい思いもせずに済んだ。
やっぱり行けてよかった。
鷲羽岳は標高2924mで、当初の計画にはなかったこの山が結果的には今回の山旅の最高峰。

写真は最初が鏡平の池で槍をバックに
次が三俣蓮華縦走路(?)からの笠ヶ岳
3枚目は三俣蓮華岳山頂からの薬師岳と雲の平
Project "M" - Mont Blanc Memorandom
Project "M" - Mont Blanc Memorandom
Project "M" - Mont Blanc Memorandom
モンブラン登頂時の持ち物についてメモしておこうと思う。

まずは服装について

頭用には
帽子・ネックウォーマー兼用Balaclava (LOKI)とバンダナ

上体には
Underwareとしてメリノウール長袖薄手下着シャツ
Mid Layerとして長袖化繊速乾シャツ(モンベル)、薄手マイクロフリース、インナーダウン(モンベル)
カミさんは化繊ではなくウールの長袖山シャツ、フリースは中厚のユニクロ・フリース
Outerとしてゴアテックス雨具

脚には
Underwareとして化繊速乾下着
その上にスポーツタイツ(Biotex)
Outerとしてゴアテックス・ソフトシェル・パンツ(モンベル)

足には
メリノウール厚手ソックス(モンベル)
ゴアテックスのゲーター
登山靴は La Sportiva Trango S GTX

手には
モンベル 3 in 1 (ウール・インナー付き)手袋、カミさんのは手のひらが革製のもの
それと化繊ニット(Breath Thermo)手袋 
 

僕とカミさんの共同装備は、
テルモス750cc1個、ナイフ1個、コンパクトデジカメ1台、日焼け止め、予備靴紐。

それぞれ持ったものは、
ヘッドランプと予備電池、イマージェンシーシート、サーモカバー付プラ水筒1リットル、
サングラス、行動食(アーモンド・チョコ、フルーツケーキ、フランスパン、チーズなど)、
シルク・シーツ。カミさんは歯ブラシとデンタル・フロス、僕はデンタル・フロスのみ。
UVリップクリーム。

テクニカルな装備としてクランポンとアイス・アックス、これらはスポーツショップでレンタル。
ヘルメット、シットハーネスと安全環付カラビナ2個、これらはガイド会社からの無償借用品。
ロープはいつもハーネスにつけた2本の安全環付カラビナ両方に通していた。これは安全性重視のフランス流か。
ウォーキング・ポール1本、これは自前。
クランポンはケースは持たずにセーム革で包んでバックパックの外側ポケットに入れる。
アイス・アックスのストラップは無し。
アルプスでは縦走用のアイス・アックスにストラップを使っている人はほとんど見なかったし、レンタルショップでも用意していなかった。
斜面によって持ち替えて使うのでリストストラップでは不便だし、岩場などで一時的に使わない時はバックパックと背中の間に指しておくのでショルダーストラップにしてもかえって邪魔になりそうだ。
ただし、手を滑らせて落とした時は…死んでも落としちゃダメということなのか。



装備の中でちょっと笑えるのはカミさんのユニクロ・フリースかも。
これは昨年のオート・ルートでも着ていたもの。
モンブランでも十分役目を果たした。

ゴアテックス・ソフトシェル・パンツ(モンベル)はいわゆるアルパイン・パンツというもの。
ストレッチパンツにゴアテックスのオーバーパンツを重ね着するよりはこれ一本で済むので軽量。
防水性能も十分なので氷河上ではこれが便利。防寒用の裏地はないがタイツとの組み合わせで特に寒さは感じなかった。

僕らの登山靴はC2カテゴリーの12本爪セミ・オートマチック・クランポン装着可能なので氷河の歩行や雪壁の登りでも問題ないが、防寒性能は劣る。
頂上直前の登りではちょっと凍えた。
気象条件によっては問題になるかもしれない。
ちなみに他の参加者は全員革製の冬用登山靴を履いていたと思う。
ただ僕らの靴は防寒性能は劣る代わりに重量は軽い。冬用登山靴が片側1Kg近くはあるのに僕らのは600g台なので300g位は軽いことになる。足回りの重量は背負う荷物に換算すると5倍くらいに相当すると言われているのでこの差は大きい。
この辺が靴選びのトレード・オフ。
僕らは冬山には登らない。
冬用登山靴を買うと日本ではほとんど使い道がないので、これを選択せざるを得なかった。

カメラはCASIO EX-H15。特に低温での使用を考慮したものではなく、カタログ上の動作範囲は0℃まで。モンブラン山頂で動作するか心配だったが問題はなかった。
いつでもすぐに取り出せるようバックパックのショルダーストラップにケースを取り付けたので多少体の熱を拾ってくれたのかもしれない。
携帯電話カメラを予備に持っていく予定だったが(可動部分が少なく低温に強いと思ったので)カミさんが持つのを忘れた。(^^;)

写真は1枚目が朝のトゥール氷河で。
2枚目はロープの結び方、8 Knott を練習中。
3枚目は懸垂下降と登り返しの練習。ロープがなかなかはずせない…??(^^;)

Project "M" - Chamonix Day 5 & Epilogue
Project "M" - Chamonix Day 5 & Epilogue
Project "M" - Chamonix Day 5 & Epilogue
6月28日(月)、朝、定刻どおりにAlpy Busがホテルに迎えに来てくれた。

モンブランに登って無事に帰ってこられてホントによかった。
ちょっと大げさだけど満足感を持ってシャモニーを後にできる幸せをかみしめた。


Epilogue

ある程度のトレーニングはしてきたものの僕らの体力で本当にモンブランに登れるのか不安だったのだが…。
何もかも初めての体験だった。
先ずヘッドランプを点けて夜歩くというのが初めて。4810mという標高はもちろん初めて。休憩を含めた行動時間16時間という長さは初めて。しかもその前の睡眠時間3時間というのも初めて。
2時間以上の連続した岩登りも初めて。ヘルメットもトレーニングで初めて装着した。
それらを考えると我ながらよくできたものだと思う。

今年の初めくらいからメールでマークにいろいろ相談してここまで来た。
彼から励まされたり(おだてられたり?)トレーニングの内容についてももっとこれを追加してとアドバイスを受けたり…
彼には本当に感謝している。
うまく登れた1番の要因は彼の指導やガイドであることは間違いないのだけれどもうちょっと整理すると次のようになると思う。

1.天候に恵まれたこと
2.ガイドのマークの歩行ペースが我々の体力を十分考慮したものであったこと
3.現地でのトレーニングプログラムで十分な高度順応ができたこと
4.日本での自主トレーニングをほぼ予定通り行うことができたこと
5.登頂時の荷物を極力減らしたこと

1.については本当にラッキーだった。当日の天気は快晴で風もほとんど無風といってよかったと思う。それでも上部の寒さはちょっと想像を超えていた。
登山靴は厳冬期用ではなかったので足指は寒さで痺れを感じた。手袋も3層構造でインナーがウールでできたかなり防寒性能の高いものだったがやはり、手先は凍える感じだった。
天候の条件が悪かった場合、特に風が強かったりしたらちょっと深刻になっていたかもしれない。安全を考えると登山靴は冬山用、手袋はオーバーミトンも用意したほうがよかったかもしれない。
2.については昨年オート・ルートをガイドしてくれたマークは僕らの体力レベルがわかっていたし、その上で早めに小屋を出発し、ゆっくりとしたペースを取ってくれたことが苦痛を伴わずに山頂に立てた要因だと思う。
しかも、下りでバテることもなく(ニー・デーグルへの下りは大変だったが)16時間もの行動時間をこなすことができた。翌日も翌々日も筋肉痛にならなかったのはこのペース配分のおかげだろう。
3.はモンブランで高山病の症状をほとんど感じなかったのはむしろ不思議だった。唯一頭がボーっとしている感じだったが、これは睡眠不足の影響かもしれない。僕は元々そんなに高所に強いほうではない。トレーニングで山小屋に3泊したのが効いていたのだと思う。
4.僕らの出発前までのトレーニングは普段からランニングなどで鍛えている方から見ればなんでもないものかも。でも僕らにとってはジョギングできたことは画期的だとと思っている。
今から思えば、このジョギングや里山のクロスカントリー、さらに7Kgのバックパックを持って塔の岳の大倉から花立まで2時間で登った時はモンブランの登りよりもきつかった。
モンブラン登山中にこれらのトレーニングの時より楽だと思えたのがトレーニングの最大の効果だったのかもしれない。
5.についてはかなり神経を使った。モンブラン登山時の服と装備については別途で書きしるしておこうと思っている。


ここまでこのプロジェクトについて僕が備忘録代わりに書きなぐった駄文を読んでくださった方には感謝です。
最後にもう一度マークとお世話になった方々、全ての幸運に感謝してここで一旦終わらせてください。
また後で少しおまけがあるかもしれませんが… (^^;)

写真は1枚目がアルバート・プリミエール小屋から見た朝のシャルドネ針峰(Aiguille du Chardonnet)3824m。
2枚目はコル・デ・プリネ(Col des Plines)からの雲海。
3枚目はシャモニーのホテルから見たモンブランのモルゲン・ロート。

Project "M" - Chamonix Day 4
Project "M" - Chamonix Day 4
Project "M" - Chamonix Day 4
6月27日(日)、

明日は朝シャモニーを発ってジュネーブ空港からコペンハーゲン経由で帰国予定。
というわけで実質的には今日がシャモニー最終日。

マークからの電話がお昼ごろにあるので、午前中の行動は限られる。
遅い朝食を摂ってからお土産を買いに街へでかける。
前にチーズ、ソーセージを買ったお店にクッキーやチョコレートなども置いてあったので結局そこでほぼ全部を調達した。

マークからほぼ時間通りに電話が入る。
彼は僕らが昨日アニマル・パークに行っていたことを知っていた。
ホテルのフロントで教えてもらったらしい。
モンブランに登った翌日に行ったのでちょっとびっくりしたみたいだ。
もっとぐったりしていると思ったのかもしれない。
パスカルとジャン・ポールはやはり疲れたために遅くなりその日はテート・ルース小屋に泊まったとのこと。
彼らは僕らより登りのペースが速かったので、もしかするとそのためにエネルギーを使い過ぎてしまったのかもしれない。
でもとにかく無事降りてきたのだからめでたしである。
マークに感謝の意を伝える。
登った翌日も筋肉痛なしで行動できたのもマークのペース配分のおかげだと思っている。
今日は特に予定もないのでシャモニーの街をブラブラする予定だと話したら山のポスターや写真を買うんだったらと駅の近くのお店を教えてくれた。
最後にカミさんに電話を換わった。カミさんも直接お礼を言うことができた。
今回は下山の時のバタバタで彼にチップを渡す機会を逸してしまった。
それがちょっと心残り。
トレーニング初日にお土産の北斎の浮世絵柄のハンカチ2枚をプレゼントできたのが唯一の救いか…

そうそう午後はひとつ用事があった。
モンブランから帰ってきてから僕の右の登山靴の爪先の外側の外皮が1センチくらい切れて剥がれかけていたのを見つけた。
これをSANGLARDへ持って行って補修可能か見てもらおうと思ったのだ。
というわけで、まずSANGLARDに寄るがお店が閉まっている。
営業時間が書かれた紙がガラスのドアに貼られていて、お昼の数時間は閉まって3時にまた開くことになっている。
シエスタだ。昔は日本にも個人商店でそんな営業時間があったような気がするけれど…お昼休みはせいぜい1時間くらいだったかも。
また後で寄ることにする。

次に向かったのが駅の裏手の墓地。
カミさんによるとイギリス人のエドワード・ウィンパー(Edward Whymper) の墓がそこにあるとのこと。
マッターホルンに最初に登った登山家で下山時の事故の生き残り。
広い墓地で特に案内板があるわけではないので探すのが大変そう。
マッターホルンっぽい自然石の墓に目星をつけて探したが、何のことはない、入り口に近い中央通路の左側にあった。
作家、探検家、登山家という非常に控えめな記述が彫ってあるだけ。
マッターホルンに最初に登ったなどとは書いていない。
なぜツェルマットではなくここに葬られることになったのかは不明。
また墓地の中央付近には山で死んだシャモニーの山岳ガイドの人たちの慰霊碑があって名前が刻まれていた。
最近はほとんどないが以前はモンブランで亡くなった人も多かったようだ。
ウィンパーの墓と山岳ガイドの慰霊碑の前で手を合わせる。
モンブランに登って無事に降りてこられたことを感謝した。

この後、街をブラブラ。マークに教えてもらったポスター屋さんにモンブラン周辺の立体地図が売っていて欲しかったが、簡単に持って帰れそうもないのであきらめた。
お昼は日陰のベンチでピクニック。
いろんな種類のあるアイスクリーム屋さんでアイスクリームを選んで食べる。
今日は完全に観光客モード。

再びSANGLARDへ。
僕の靴に問題があるので見てくれとお願いしたら、お兄さんが笑いながら"これが問題?"、大げさなという感じで接着剤で補修してくれる。
お金は取らなかった。
いつもの女主人がまた来年も来るんでしょと言うから去年、今年と続けて来たので来年は…と言うと"Why not"と返される。
修理のお礼を言ってまた会いましょうとお店を後にした。

シャモニー最後の夕食は…昨日のステーキがおいしかったのでまたあのステーキハウスに行くことにした。
昨日と同じかわいい娘さんがまた来たのねという感じで笑顔で応対してくれる。
メニューの中のステーキの種類の違いについて聞くと…彼女はほとんど英語ができないみたい。
しかも、フランス語ではなくてイタリア語しかできないということがわかった。
ここで僕が前に習っていたイタリア語が役に立った。
結局、メニューの中の昨日食べたのと違うちょっぴり安めの300g ステーキというのは昨日のとは量は "Uguare" (同じ)だが、"Sale e Pepe”(塩とコショウ)のシンプルな味付けなどということがわかった。
なんと昨日食べたのも300gステーキだったのだ。
結局、今日はサラダの種類を換え、ステーキはカミさんとソースをお互いに昨日と反対のものを注文した。
娘さん、ニッコリ笑って "Come ieri" (昨日と同様ね)。
昨日はカードで払って、小銭がなかったのでチップを置けなかったのだが、今日は手持ちのユーロがあまりそうだったので、現金で多めに置いて店を出た。
2日続けて300gステーキ。僕らにとってはめったにないというか初めてじゃないかと思う。

ホテルに戻って明日のための荷造り。
その後、レセプションのところのカウンターでコーヒーをいただいてからお風呂、就寝。

写真は1枚目がシャモニーから見上げるモンブラン。
2枚目はWhymperのお墓の前で。
3枚目はシャモニーの山岳ガイドの慰霊碑の前で。
Project "M" - Chamonix Day 3
Project "M" - Chamonix Day 3
Project "M" - Chamonix Day 3
6月26日(土)、ゆっくり起きた。

朝食がおいしい。
今日の予定は特に決めていなかったのだが、去年マークから教えてもらったレズーシュ近くのアニマル・パークに行くことにした。
レズーシュの鉄道駅から徒歩だと1時間30分くらいかかるらしい。
さすがに足には長時間歩いた疲労感はあるが、筋肉痛はないみたいなので大丈夫だろうと判断した。
エギーユ・ドゥ・ミディからケーブルカーで氷河見物をしながらイタリアに行くというアイディアもあったが、氷河は既に十分歩いたしというカミさんの一言で却下となった。
動物園の方がだいぶ経済的だという判断もあって結局こうなった。

ホテルのフロントでバス乗り場の場所と降りるべきバス停を教えてもらった。
乗り場はホテル近くの橋のたもと。
ちょうど広場で朝市が開かれていてバスを待っている間、いろいろ見て回った。
大きな冷蔵庫付きの車でお店を出しているチーズやソーセージ、ハムの店、ジャムや蜂蜜のお店。
果物屋、八百屋、衣料品、骨董品の店など見ていてなかなか飽きない。

メイリー(Mairie) のバス停で降りて、まずレズーシュの鉄道駅までの道を探すが特に標識もないので反対方向に歩き出したりして少し道に迷う。
やっと駅に行く降り口を見つけると後は標識が示してくれる。
歩行者用の道をたどってアニマル・パークへ。
今日は本格的な登山道は歩かないと思ってスニーカーで来たのだが、石ゴロゴロの道なので登山靴の方がよかったかもしれない。
途中すれ違った人たちはちゃんとした登山の装備だった。
もっとも、彼らは動物園よりさらに上の登山道から来たのかもしれないが…

だらだら登る山道は疲労が抜けない体には楽ではないが、急ぐ必要もないのでブラブラ歩き。
アニマル・パークの入り口ゲートまではやはり1時間半くらいかかったと思う。
入り口ゲートに園内ではピクニック禁止、ドリンク禁止の看板がかかっている。
飲食は園内の売店、食堂に限られていてピクニックは許されていないようだ。
これはちょっと誤算。動物の保護のためらしい。
ゲートを入ってすぐのところにあるチケット売り場で聞いたらゲートの外にあるベンチだったらピクニックOKということなので一旦外に出てピクニックの後、入園することにした。

パーク内は動物放し飼い。ただ道を外れたり動物たちに近づきすぎてはいけないとパンフレットに書いてある。
中は思っていたよりもかなり狭い。30分もあれば回れてしまいそうだ。
動物も少ない。結局、遠目に拝んだ鹿(?)とラマにしか出会えなかった。
でも、シャモニー・ヴァレーを挟んで向こう側に見えるモンブランの姿が美しい。
まあ、景色がよかったので良しとしましょう。

帰りはシャモニーまで1時間30分の標識を見つけたので、それに従って直接シャモニーに下りることにした。
要所に標識があるので道に迷うことはなかったが、道中誰にも会わなかったのはちょっと寂しかった。
今日はそんなに歩くつもりはなかったのに結局3時間余りも歩いてしまった。

夕食はシャモニー駅近くの昨年も入ったサヴォワ料理の店でと思ったのだが、満員でダメみたい。
モンブランに登る前の日にお休みだったイタリア料理のお店の前にも行列ができている。
今日は少し出遅れたようだ。
しょうがないのでイタリア料理店の隣のメキシコ料理/ステーキ・ハウスに入る。
昨日のステーキが今一だったので、口直ししたかったこともある。
カミさんと大きなサラダ一皿をシェアして、あとはそれぞれフィレ・ステーキを注文する。
僕はトマト・ソース、カミさんはキノコ・ソース。
これはヴォリュームがあって、肉も柔らかく、ソースもなかなか良し。
今日はカミさんも大きな肉を完食。大満足でホテルに戻った。

ホテルでマークからの伝言を受け取る。
留守中に電話をくれたらしい。明日の12時にまたかけ直すとのこと。
ちょっと変な時間だけど明日は特に予定もないのでお昼にはホテルにいることにしよう。

写真はアニマル・パークで。
1枚目、2枚目はモンブランをバックに。ちょっと雲がかかっているが惜しい。
3枚目はラマと一緒に。
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 2-2
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 2-2
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 2-2
モンブラン頂上では2人の登山者がタンデムのパラグライダーでまさにこれから飛び出そうとしていた。
パラグライダーの布がすごく薄いのにびっくり。
やがて斜面を走って無事離陸。みんなの喝采を浴びた。
僕らもあれで降りられたら楽でいいのに…

先に着いていたパスカルとジャン・ポールも加わって写真を撮ってもらった。
時計を確認するのを忘れていたが、頂上に着いたのはたぶん9時過ぎだと思う。
テート・ルースから9時間もかかっている。
特に大休止をとったわけではなく、せいぜい1時間に1回程度ほとんどは5分くらい、長い時でも10分程度の休みでここまで来たのでコンスタントなカメ歩きだったようだ。

頂上には15分か20分くらいいただろうか。
チームの中では僕らが最初に下り始めた。
ちょうど下り始めようかというときに最後のチームが頂上に到着。
これでこのプログラムの参加者12人すべてが登頂したことになる。
天気に恵まれていたとはいえ、この成功率はスゴイと思う。

下りは登りとは反対に僕、カミさん、マークの順番。
モンブラン頂上近くはナイフ・リッジになっているところが多い。
下りの方が下がよく見えて高度感があるが、それほど恐怖を感じないのはちょっと不思議な感じがする。頭がボーっとしているためなのか。
日が昇って雪が緩み始めているので多少歩きにくいが、トレーニングの時のアルバート・プリミエール直下の雪の斜面に比べればはるかに歩きやすい。
この日の行動時間が既に9時間を超えている割には元気。

ヴァロ小屋でトイレ休憩。
ただ、この無人小屋のトイレは悲惨なことになっていたようで、カミさんもワキの方で済ませたみたいだ。
このあたりでまた若いチームにだいぶ追い抜かれたようだ。
ドーム・デ・グーテへの登り返しは僕がペースを作るが、マークからは急ぎ過ぎないようにと声がかかる。

やがてグーテ小屋へ。
グーテ小屋で飲み物を仕入れたかったし、もっと水を飲みたかったのだがヘルメットをかぶったり、手袋を変えたりの小休止であっさり通過。
ここからの岩場の下りが長かった。
下から登ってくるグループが多く、すれ違いに時間がかかるし、僕とカミさんの降りるタイミングの違いもあって時間をとられる。
マークは登りの登山者を待ってないで"Sorry"と声をかけてどんどん進めというがなかなかうまくいかない。
あまり急いで足を滑らせると大変なのでどうしても慎重になる。
クーロアールに出るまでが本当に長く感じた。

落石名所のクーロアールでは前のグループがワイヤーロープに確保用のロープをかけていたのに対し、マークは省略。
渡る前に途中で合図したら急ぐようにという指示を出しただけでマークが先頭でゆっくり渡り始める。
午後になって気温が高くなってきたので行きよりもリスクは増していると思うが、落石などの音はまったく聞こえず静かである。
この時点でかなり時間がかかっていたのでさすがにマークもあせり始めていたのかもしれない。
渡った後でちょっと言い訳していた。

やっとテート・ルースのテント場へ。
他のチームがテントを撤収している。
登山電車の最終の時間が迫っているのですぐにみんなで降りるという。
マークは責任者としてまだ降りてこないチームを待つのでここに留まるという。
もっとゆっくり言葉を交わしたかったが、せわしなくお礼を言って別れた。
他の参加者、ガイドと共に行きとは異なるショート・カット(?)の雪渓を下る。
これが深雪で歩きにくくて苦労する。
2、3歩進むとバランスを崩して雪の中に倒れこむ。
カミさんはガイドのピーターのサポートをもらって何とかうまく降りられそうだ。
他のガイドが歩き方を教えてくれるが、なかなかガイドのようにはうまくいかない。
深夜から長時間歩いた上に何でこんなところを降りなくちゃならないのかと思うとだんだん腹が立ってきた。

それでもなんとか転げながら雪渓を降り、後は雪と土、小石混じりのところを降りた。ニー・デーグルに着いたのは午後4時過ぎ。小/中休止を含めて16時間、よく歩いた。
すでに電車が待っていてまもなく出発した。
べルヴューでケーブルカーに乗り継いでレズーシュに降りた。
結局、パスカルとジャン・ポールたちだけが降りて来れなかったみたいだ。
ここでヘルメットとハーネスを返却、ガイドや参加者のみんなと握手して別れた。
僕らは参加者の一人(彼の名前忘れた、ゴメン)に車でシャモニーまで送ってもらった。

ホテルに戻って、レセプションのおばさんに無事登ってきたことを報告。
喜んでくれた。
疲れた。
このままベッドに倒れこんで寝てしまいたいが、クランポンとアイス・アックスを今日中にSANGLARD SPORTSに返さないともう1日分のレンタル代が発生するので重い体をもちあげ出かけることにする。
のどが渇いていて体が熱い。脈拍も速いので軽い熱中症かもしれない。

SANGLARDでレンタル品を返し、清算。SUNGLARDの女主人も僕らの登頂を祝福してくれた。
借りた時に確保しておいてもらったお揃い、色違いの20リットルのドイターの小型バックパックをペアで購入。これは僕らのお散歩用。ちょっと高かったがこのサイズにしてはフレームや背中のパッド、腰ベルトなどがすごくしっかりできているので気に入った。

帰りにスーパーで僕がCoke Zero 500ml 2本、カミさんが紙パックのグレープフルーツジュースを買う。
Coke Zero 500ml 2本をほとんど一気に飲んでやっと落ち着いてきた。
グーテ小屋からまったく水分補給無しで下りてきたので完全に体が渇ききっていたのだと思う。

夜はモンブランに出かける前に食べたピザ屋さんで僕がテンダーロインのステーキ、カミさんがハンバーグステーキを食べる。カミさんはメニューを読み違えた。違うステーキを期待していたようだ。
シャンパンをグラスで頼んで登頂成功を祝して乾杯。
カミさんはハンバーグを半分くらい残した。つばが出なくてうまく飲み込めなかったらしい。まだ、水分の補給が足りないみたいだ。

ホテルに帰って風呂に入ってベッドへ。やっと眠れる。長い一日だった。

写真は1枚目が頂上から飛び立つパラグライダー。
2枚目はパスカル、ジャン・ポール、マークと頂上で。
3枚目は頂上全体、細長い場所になっている。これら3枚はジャン・ポールからの提供。
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 2-1
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 2-1
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 2-1
6月25日(金)、実際にはまだ24日の11時15分に起きだして出発準備。

幸い腹が苦しいのは収まっている。これなら何とか歩けそうだ。
化繊の速乾性のシャツの上にフリース、ゴアテックスを身に着ける。
ゲーター、クランポン、ハーネス。ヘルメットにヘッドランプを付けている。
アイスアックスを持つ。
ほとんどのものを身に着けているので、バックパックの重みはあまり感じない。

ロープで結ばれ、12時前に3人でゆっくり歩き始める。マーク、カミさん、僕の順番。
パスカルとジャン・ポールのグループもすぐに続いて出発したようだ。
若い人たちのグループはペースが速いので後からの出発になるようだ。
気温は低いが、風はほとんどない。

マークのペースは相変わらずゆっくり。
あせらなくていいからと言ってくれる。
下にシャモニーの街の灯が見える。一番遠くに見えるのはジュネーヴの街の灯だとマークが教えてくれた。

しばらく歩くと右下がりの急な雪渓のトラバースになる。
暗くてわかりにくいが、トラバース道に沿って右上にワイヤーロープが張られているらしい。
マークは特に何も言わずたんたんと雪渓を渡る。
これが有名な落石名所のクーロアールかと思ったのだが…
あとで休憩のところで聞いたらやはりここがそうだったみたい。
まだ、気温が低い時期のしかも夜で雪が緩む可能性が少ないので落石の危険がほとんどないと判断したのだろう。

この後、岩登りが始まる。
これが延々と続く。
アイス・アックスは一時的にバックパックの背中のショルダー・ストラップの間に挿すよう言われるが一人ではなかなかできない。
マークが手伝ってくれる。
僕のバックパックは背中のパッドと背中の間の隙間がほとんどないのですわりが悪く、時々背中に当たって違和感がある。
さらに背をかがめるとアイス・アックスが落ちそうになるので気になってしょうがない。

途中、カミさんが足を滑らせて雪の斜面に宙吊りになる。
何とか右足を雪面に蹴りこんで起き上がる。
怪我がなかったのでほっとした。
マークが落ち着くようにということでチューブ入りのエナジー・ペーストを食べさせてくれたようだ。
後でカミさんに聞いたら頭を岩にぶつけたがヘルメットのおかげで事なきを得たとのこと。
幸運だった。マークの確保がなかったらと思うとぞっとする。
夜の岩登りは視界がヘッドランプの照らす範囲に限られるためやっかいだ。
満月に近い月が出ているので助けにはなっていると思うが十分ではない。
何箇所か鉄製の十字架の碑が建てられているのを見たが、どうもその場所で亡くなった登山者のためのものらしい。
そんなになってはたまらない。気を引き締めて進む。

やっとグーテ小屋(Gouter refuge)3817m に着いて小休止。
午前3時を過ぎていたと思う。
水補給し、アーモンドチョコボールを口に入れ、トイレも。
ここでヘルメットをはずす。
いつのまにかパスカルとジャン・ポールが先に着いていて先に出発する。

狭い雪のゲートを潜り抜け雪原へ。
あまり広くはないテント場を抜けてだらだら登る。
すでに標高3800mを越えているので僕らにとっては未体験ゾーンに突入している。
マークが深呼吸するようにアドバイスしてくれるが、呼吸は苦しくないし頭も痛くない。
今のところ高山病の症状はない。
ただ、頭がボーっとして考えがまとまらない。
脳が酸素不足なのか??
ひたすら機械的に足を交互に出すだけ。

ドーム・デ・グーテ(Dome de Gouter) 4304m の手前あたりで(たぶん)朝日があたりはじめる。
上から男性と女性の登山者が下りてくる。
マークは男性とは知り合いみたいで何か言葉を交わす。男性がガイドで女性が客なのか。
てっきり、頂上まで行って帰ってきたのかと思って、Congratulationsと声をかけてしまったがどうもそうではなく、女性が寒さのため登頂を断念したらしい。
悪いことをしてしまった。
僕がカメラを出して撮っていたら、男性が申し出てが僕ら3人の写真を撮ってくれた。
感謝。

確かに冷えてきた。手先と足先がしびれて感覚がなくなりかけている。
風がほとんどないのにもかかわらずこの寒さは想像を超えている。
手を握ったり緩めたりして動かすようにする。足先も指は動くので何とか動かしてみる。
無人の避難小屋、ヴァロ小屋(Vallot refuge)4362m 付近で小休止。一度脱いだフリースとさらにインナー・ダウンを着た。
とにかく寒かった。登りでインナー・ダウンを着るとは思わなかった。持ってきてよかった。マークも上にダウンジャケットを着込む。
ヴァロ小屋前後で他のいくつかの若いチームに抜かれた。
たぶん僕らよりは1時間かそれ以上遅くテート・ルース小屋を出発したのだと思う。

ヴァロ小屋から頂上までが長く感じた。
心肺への負荷がかなり上ってきた。
でも、息は苦しくはなかったのでこのまま足を動かしていれば頂上に行けると確信した。
まだ頂上でもないのにうれしくて涙が出そうになった。
やがて傾斜が緩んでやっと頂上。
他のチームのみんなが祝福してくれる。
マークやみんなと抱き合う。
カミさんがみんなにヒゲ面を押し付けられて痛がっていた。

写真は最初がモンブラン稜線上で見る朝日。
2枚目は朝日の中、マークと3人で。
3枚目はモンブラン頂上で。

Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 1
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 1
Project "M" - Mont-Blanc Ascent Day 1
6月24日(木)、いよいよ今日明日でモンブランへの登頂を目指す。

まあまあよく眠れた。
ただ、マズイことに腹の調子がよくないというかはっきり言って下痢気味なのだ。
食欲はあるのでホテルでの朝食はいつもと同じ。
ホテル デラルヴェの朝食は結構気に入っている。
コンチネンタルなので基本的には冷たいものだけなのだが、チーズやハムはあるし、ヨーグルトや缶詰のフルーツもある。
パンはフランスパンがあるし、生卵が置いてあって自分で好みの時間ゆでることができる。
コーヒーは二人分をポットに入れて持ってきてくれるし、暖めたミルクもたっぷり。
大きなカップに2杯づつは飲める。
いつものようにテルモスにお湯を入れてもらって、ティーバッグでお茶を作る。これはモンブランに持っていく。

すべて予定通り。
でも腹の調子が直らない。
マークが10時に車で迎えに来てくれることになっているが時間が迫っても相変わらず。
予定よりちょっと遅れてマーク到着。
しょうがないのでマークにお願いして薬屋さんによってもらうことにした。
レズーシュ(Les Houches)のケーブルカーの駅の近くの薬屋さんに寄る。
マークも一緒に来てくれて英語-フランス語の通訳をしてくれる。
下痢止めと胃腸を整える薬を薦めてくれた。
下痢止めは今すぐ2錠飲んで、1時間たっても止まらなかったらさらに2錠、1日6錠まで。
胃腸の薬は1日1錠と説明を受ける。
マークがいてくれて本当に助かった。

レズーシュ(Les Houches)のケーブルカー駅に着いてメンバーと再会。
モンブランに登る時の山岳ガイドは二人に一人づつ付くのでここで3人のガイドが加わる。
カミさんと僕のガイドはマークがしてくれることになっている。
テート・ルースまでテントを持って行かなくてはならないので各人にそこまでの荷物が割り当てられる。
幸い、テート・ルース小屋に6人だけ泊まれることになり僕らはテントではなく小屋泊まりになった。パスカルとジャン・ポールも小屋どまり。どうも年齢順に上から6人まで選ばれたようだ。
カミさんはロープを、僕はロープとマットを分担して持つ。
テントに泊まる若い人たちはさらにスリーピング・バッグや大きなスコップなども分けて持つので大変そうだ。

僕らはモンブラン登山のため、装備、バックパックを限界まで減量化した。
まず、バックパックはトレーニング中に使っていた50リットルのものではなく、今日は28リットルのものを持っている。
着替えはなし。下はスポーツタイツの上にゴアテックスのアルパイン・パンツ。ゲーター。雨具のオーバーパンツは持たない。
上はメリノ・ウールの下着、速乾性の化繊のシャツ(カミさんはウール100%の山シャツ)、フリースとインナーダウン、アウターのゴアテックス雨具。
帽子とネックウォーマーを兼ねたバラクラーバ(目出し帽)。
他は行動食と水、テルモスは2人で750ml入りのものをひとつ持つ。
Emergency Sheet、小屋で使うシルクのシーツ、3層構造の透湿防水手袋と化繊のニット手袋、ナイフ、カメラは2人でひとつ。
ウォーキング・ポール1本。クランポンはクランポンカバーの代わりにセーム皮で包んで持った。

ケーブルカー(日本語ではロープウェー)でまずベルヴュー(Bellvue)1794m へ。
ベルヴューから登山電車でニー・デーグル(Nid d’Aigle) 2372m に登るのだが、いくら待っても登山電車が来ない。
どうも車両がトラブルを起こして立ち往生し、修理用の部品などを後続の車両で運ぼうとしているようだ。
しょうがないので、ベルヴューでピクニック。
2時間半くらいは待っただろうか?
午後2時過ぎにやっと登山電車がベルヴュー到着。
発車したときは車内から拍手と歓声がわいた。
途中で待ちきれずに線路沿いを歩き始めた登山者を抜かす。待っていてよかった。

ニー・デーグルから雪道を登る。
クランポンは付けないし、ハーネスもなしだが、雪渓の要所ではマークがロープを体に結んでくれる。
2時間あまりでテート・ルース小屋(Tete Rousse hut) 3167m に到着。
紅茶をもらってちょっとくつろぐ。

そうこうしているうちに夕食の時間になる。
野菜スープがうまい。グループ毎にもらった鍋から取り分けているが、お代わりをお願いしたら次には豆のスープが出てきた。これもうまい。
メインは粒状のパスタとハムの煮込み。カミさんはこれはハムではなく豚肉を調理したものだと言っていたが…
小さなタルトのデザートも良かった。
ただ、問題は僕の胃腸の具合で、なんとか下痢は収まったもののまだ本調子ではない。
今度は腹がやけに張って苦しい。
こんなことで明日、いや今晩本当に登れるのだろうか?

マークの指示通り腕時計のアラームを11時15分(!!)にセットして午後8時頃就寝。

写真は1枚目が登山電車のベルヴューの駅で。電車が来ない。
2枚目はテート・ルースへの登りで。鹿(?)をバックに。
3枚目もテート・ルースへの登り。右上にテート・ルース小屋が見える。

Project "M" - Mont-Blanc Training Day 4
Project "M" - Mont-Blanc Training Day 4
Project "M" - Mont-Blanc Training Day 4
6月23日(水)、モンブラン・トレーニング4日目、トレーニングの最終日。

朝早く出発してエギーユ・ドゥ・トゥール(Aiguille du Tour 3540m)に向かう。
今日も快晴。

エギーユ・ドゥ・トゥールはトリエン小屋のトリエン・プラトーを望むテラスに立つと右上方に見えるちょっと目立つ岩山。
岩山のふもとまで氷河を登る。
ふもとの雪原にバックパックを下ろしてDepoし、ヘルメットをかぶりアイス・アックスを持っていざ出陣。

クランポンを着けての岩山登り。
マークの指示でロープを岩に掛けて確保しながら慎重に登る。
ほどなく頂上へ。
このトレーニングでの最高地点。
モンブランはもちろん、マッターホルンまでよく見える。

ここを下りてから一旦氷河を下って再び登り返し、フランス領のトゥール氷河側へのコルに向かう。コル・ドゥ・トゥールではなく、もうひとつ北側のコル。
これを越え、トゥール氷河を下ってアルバート・プリミエール小屋へ。

アルバート・プリミエール小屋のテラスは小学校高学年くらいの子供たちの団体で大混雑。学校の遠足か登山教室か何かか。
ドリンク、行動食、トイレで20分くらいの休憩をとった後、出発。
クランポンははずしているが、小屋からのすぐの下りはかなり急斜面なのでハーネスははずさないでロープで結ばれている。

雪が深く足をとられて歩きにくい。
急斜面のところを過ぎてロープをはずすが、深雪の下りが続く。
ここでカミさんが遅れる。
カミさんはどうもこういう雪の下りは苦手のようだ。
マークが見かねて手を貸してくれる。
クランポンなしで歩くところはモンブランにはないからと慰めてくれる。

何とか雪のないFootpathのところまで出るが、パスカルも靴擦れのためちょっと苦労しているようだ。
結局、お昼をちょっとすぎてチェア・リフトの駅に着いた。
プログラムの参加者の中ではカミさんと僕が最後にチェア・リフトに乗った。
僕らがリフトに乗るときマークともうひとりのガイドのクリストフがわざわざ僕らのバックパックを持ってくれて椅子の中央に置いてくれる。
行きに僕がリフトでトラブったので心配してくれたのかもしれない。
申し訳ない。

マークに車でホテルまで送ってもらって別れる。
スーパーでリンゴ、トマト、野菜などを仕入れ、手持ちのフランスパン、チーズ、サラミソーセージなどでホテルのテラスでピクニック。
今度は大きなテラス、モンブラン・ビューの部屋を割り当ててくれたのがありがたい。

夜はスタミナをつけるためパスタがお薦めというマークのアドバイスに従ってイタリアン・レストランに行くことにする。
お腹の調子がよくないのでホテルの近くにある日本料理の"さつき"でうどんという選択肢もあるが、きつねうどんに10ユーロも払うのには抵抗がある。

ホテルで教えてもらったイタリアン・レストランはお休みだったので結局、シティ・センター近くのピザ屋さんでカミさんはマカロニ・グラタン、僕はラザニアを注文する。トレーニング中は高度順応の妨げになるといけないと思って控えていたビールも少し。
びっくりしたのはここにパスカルとジャン・ポールが後からやってきたこと。
彼らもパスタかも。パスカルはスポーツショップで新しい登山靴を借りたとのこと。明日の健闘を約束して別れた。

写真は1枚目がトリエン・プラトーの朝。
2枚目はエギーユ・ドゥ・トゥールの頂上で。
3枚目はアルバート・プリミエール近くから見たモンブラン。結果として僕たちが登ることになった頂上右側稜線上のノーマル・ルートがよく見える。

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